第3回 国会事故調 & 双葉町タウンミーティング(3時間30分)平成24年1月30日 12時~
http://www.naiic.jp/ 配布資料 http://www.naiic.jp/about/#
・黒川清(委員長)
・横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
・石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授)
・田中耕一 委員(化学者 株式会社島津製作所フェロー)
・蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)
・崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )
・野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
・大島賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)
・田中三彦 (科学ジャーナリスト)
ニコ生 http://live.nicovideo.jp/watch/lv79140384
○進行
まもなく委員会をはじめますが、その前に幾つかお詫びとお願いを申し上げる。お詫びの点は様々な事情から委員会の開催時間を正午からという時間帯になってしまったことを先ずお詫び申し上げる。また、開催のご案内日も大変まじかになってから皆さんにお知らせすることになったことも併せてお詫びします。
お願いですが、この国会事故調委員会は公開で行いますので、報道の方が入っております。また、動画の配信も致します。そういう事で参加の方々の映像が映り込む可能性もありますのでこの点了解を頂きたい。また、携帯電話のご使用はご遠慮いただきたいと思います。電源を切ってください。
ホール内は飲食禁止、この館内は禁煙になっております。最後で結構ですが、皆様方にアンケート用紙をお配りしておりますのでお帰りの時にお書き頂きお出し頂きますようお願いいたします。以上です。それではこれから委員会をはじめます。黒川委員長お願いします。
●黒川清委員長 00:06:10 ~
それでは東京電力福島原子力発電所事故調査委員会ですが、国会から任命されている通省、国会事故調とでも申しましょうか、第三回の委員会を開会します。本日の委員会は双葉町の町長や町民の皆様からの意見をお聞きするべく、双葉町の方々の多くが避難生活をされている加須市(埼玉県)で開催することに致しました。
はじめにこの国会の事故調ですが、ご存じない方もおられるかなと思いますが、政府の事故調査委員会と何がどう違うのかを含めて簡単ですが ご説明させて頂きます。
お手元に資料があると思います。1の私の皆様へのご挨拶と委員名簿を要していますのでご覧になりながら、聞いていただければと思います。この委員会の最大の特徴は国民の代表者からなる国会、それに設置された事故調査委員会ということであります。
http://www.naiic.jp/wp/wp-content/uploads/2012/01/ik03_meibo.pdf
http://www.naiic.jp/wp/wp-content/uploads/2012/01/ik03_resume.pdf
政府にも事故調査委員会が設置されておりまして、12月に中間報告を発表したところはご存じだと思います。いわゆる畑村事故調と呼ばれるものでございますが、私達の国会の事故調はそれとは別に国会に設けられた民間の専門家、
10人の委員ですが、独立の調査委員会で御座いましてその点を理解いただければと思います。民間の専門家による委員会を国会に設けるということは、日本では憲政史上初めてだということでありますが、それだけで今回の問題を国会議員の皆様は重視しているということであります。
つまり、政府と違った立場で政府の対応、その他についての意見を具申しているという事であります。従って私たちの報告書は国会の議員さん、つまり、参議院と衆議院の議長に提出するという事になると思う。本委員会は3月11日に発生した東京電力福島原子力発電所の真相究明を行ない、
未来に向けた提言を行うことを目的に調べておりまして、そこで私たちは事故の真相究明、未来に向けた提言をするにあたり最も大事にしなければならないこととして、今回の原発によって被害に遭われた方々の視点に立つことを基本にしたいと思っております。
第一回の委員会は、二日間、福島の原発の事故現場、あるいは周りですが、大熊町を通りまして最終的に福島県で開催させて頂きました。今回は役場着機能も含めてですね、これは4月19日だったと思いますが、埼玉県の加須市に避難されている双葉町の皆さんから直接お話を伺おうと思って、この加須市で委員会することにしたという事であります。
今後も被災された方々へのヒアリングを随時行って参ろうと思っております。これまでのこの委員会の調査会活動の報告ですが、簡単でございますが、今までやっていること、その他について事故の事実、あるいは事故の原因の調査について石橋員に簡単に説明して頂こうと思っております。
では、石橋委員よろしくお願いします。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授) 00:10:15 ~
委員の石橋です。非常に簡単ではありますが、事故の事実、及び原因の調査状況についてご報告します。ここで言っている事故というのは狭い意味の福島第一原子力発電所の事故そのものでありますが、それの実態と原因を明らかにするために、これまでに4回の検討会を開きました。
それと共に東京電力の担当部署から根幹となるような長時間の連続ヒアリングというのを現在、実施しております。更に専門家等によるヒアリングもすでに何回か実施致しました。今後もヒアリングを積み重ねると共に多数の資料を収集しつつありますので、それの分析も含めて 事故の真相とその原因の究明に努力していきたいと思っております。以上です。
●黒川清委員長 00:11:20 ~
ありがとうございます。ちょっと私、訂正させて頂きますが、ここの町は加須市(かぞ)と読むんですね。すいませんでした。間違えまして本当にすみませんでした。次にもう一つは被害の事実、あるいは被害の原因に関する調査というグループがありまして、そこの簡単な活動について横山委員の方からお願いいたします。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)00:11:45 ~
委員の横山です。このグループは被害、原因の調査、人体に対する影響とか、環境に対する影響をできるだけきめ細かく考えたいと思っておりますので、原発事故当時の被害状況を把握するために浪江町の住民の皆さんが避難しておられる二本松市にヒアリングに行き、町長を始めとしていろんな方々、実際に避難されておられる方々から、事故当時の避難の状況、
それから、実際にどういう情報が入ってきて、どういうふうにその情報が使えたのか、使えなかったのか、ということに関して細かく具体的にいろんな問題点をお聞きしました。それと平行していろんな調査を進めてデータを集めておりますので、そういう事の分析と併せて何を中心に今後進めていくかということを今考えて進めている状況です。
●黒川清 委員長 00:13:05 ~
はい。ありがとうございます。それでは政策調査について、櫻井委員、お願い致します。
●櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)00:13:15 ~
委員の櫻井でございます。私どもは政策調査と関連して、現在 進めているのは、被災者、あるいは関係市町村からのヒアリングというものを重点的に行なっておりますので、その関係を報告させて頂きます。これまで大熊町の住民の皆様の避難場所である会津若町を訪れ、
また富岡町の避難先である郡山市、飯舘村の避難先であります福島市の飯野町に行かせて頂きまして、それぞれの自治体の役場の方、その他、住民の方とお会いして色々お話を伺わせて頂きました。
被災者の方々からもいろんなご意見を伺っておりまして、これをこれから私どもの調査の参考にして参りたいと考えております。以上です。
●黒川清 委員長
ありがとうございました。それでは野村委員お願いいたします。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)00:14:10 ~
委員の野村でございます。私は委員会の主査を仰せつかっておりますので、委員会全体の活動につきましてのご報告をさせて頂きます。当委員会におきましては、官公庁に対しまして調査の協力の以来と資料の提出要求をさせて頂いております。
先ず、当委員会としましては、野田内閣総理大臣、枝野経済産業大臣を始めとし、関係行政機関に対しまして 調査の全面的協力をお願いして文書等をお渡ししているところであります。
更には 昨今報道等されておりますが、原子力災害対策本部で有りますとか、緊急対策本部、及び、政府・東京電力統合再昨本部、こちらは後に統合対策室と名称を変更をされているところでありますが、これらの会議録につきましてそれが残っていないというようなことも報じられているところであります。
しかしながら、我々の調査に付きまして、これらの資料は大変重要であるという観点から、という実の会議に出席しておられます前閣僚、また、各関係当局に対してその時にとりました会議録、あるいは資料等の提出を要求しているところであります。
更には当委員会が国民の皆様からの情報を受け付けるべく、ホームページを開設しておりまして、そこにご意見の窓口を開設しておりますので、もしご意見がおありでしたら、是非、この場所をご利用頂いて情報提供を頂ければと思います。よろしくお願いいたします。以上です。
情報提供 → http://www.naiic.jp/goiken/
●黒川清 委員長 00:15:50 ~
ありがとうございました。それではこれから双葉町の井戸川町長さんからご説明と及び委員との意見交換を予定しております。
当委員会では今後も調査活動の進捗状況を適宜委員会のばでも報告していくことにしたいと思っておりまして、これから参考人という形になってしまいますが、双葉町の町長さんの井戸川克隆さんから3月11日の震災後、福島原発事故、避難の状況等についてお話を頂き、その後、町長と委員の意見交換を行います。
双葉町の町長の井戸川さんのお話に関する資料は資料2としてお配りしておりますが、これから本当にあの時の現場は大変だったと思いますし、その後も町長のリーダーシップよろしくですね。大変だと思いますが、そのようなお気持ちも含めてお話を伺いたいと思います。それでは井戸川町長さんからのお話でございます。よろしくお願いいたします。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )00:17:10 ~
本日は大変お忙しい中、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 黒川委員長様を始め、委員の皆様には加須市においで頂きまして誠にありがとうございます。皆様には戦後最大の事故の原因、調査究明という前例のない、比べ用のない、大きな課題を担われております。
日本では起きないだろうという事でありましたが、不幸にも私たちふたばの地で起きてしまいました。このため、住む全てを失いました。この苦しさ、悔しさは測る物差しがありません。また誰に責任があるのかはっきり致しません。
本日は私達がなぜ、このように苦しみ悩まなければならないのか、しっかり現実を調査して頂き、苦しさから早く脱出できますような、そして無念さが晴れるような調査をお願い申し上げます。事故当時、大きな地震にあいました。あの大きな地震の後、大きな津波に会いました。私どもはあのような大きな地震が過去にあったという言い伝えがあまりにも少なく、備えも十分ではありませんでした。
2つの地域が津波で流されました。そしてまた、原子力発電所の事故によって避難が間に合わなくて被曝してしまった町民も多くおります。命からがら何も持たずに避難して、もうまもなく一年が来ようとしております。避難指示は政府から出ましたが、その後の行動については一切、指示、指導がないまま今日に至っております。大変、残念であるなと。そんなふうに考えております。
双葉町事故以前の状況でありますが、私は町長に就任して以来、東京電力と原子力安全・保安院には原発は心配だと言い続けて参りました。帰ってくる言葉は必ず、「町長。心配はいらない。絶対に安全だから。」といってきました。ここに会話記録も持っております。今は大切なものであります。
今度の事故は、町に対する、町民に対する信義違反だと思っております。そして、町民には決して望まないことを現在も強要されておりますので、このようなことはあってはならないと考えております。
原発事故以後の状況、問題について定期をさせて頂きます。原子力を担う、扱うものは絶対に事故を起こしてはなりません。今回の事故は東京電力の油断と経営者の危機管理能力と経済性の欠如だと思います。小さな節約が大きな穴を開けました。
また 社会性にも不足しております。今、日本には社会を構成する大事な責任を追っていることを自覚した経営者が少ないように思えます。まさに東京電力も同じだと思っております。事故を発生させ、その後の我々に対する態度も惨憺たるものであります。
今の経営陣は、社会の一員としてあまりにも理不尽で認められません。その醜態から早く修復するために経営陣が総退陣するしか信頼を回復する道はないと思っております。私達の先輩がトチの買収に応じ、立地を認め、便宜強要したことを忘れたとは言わせたくありません。
恩をアダで返されることは全く望んでいないことをここで宣言をしたいと思います。我々をいつまでも困らせないように限度を超えた我慢をさせないようにそこで以下について問題提起をします。
事故は起きてしまいました。想定外の理由には当たらない。どんな言い訳も通用しない。東京電力はとんでもないことをしてしまったと持っているだろうと。私達もとんでもないことをされていしまったと思っています。紳士的な解決をしようとすればあ安全な場所と、従前に近い状態に近い環境を準備して、我々を迎える、そして元通りにして返すことであります。
しかし、実態は紳士的だとはとても言えません。加害者が自分の内に住み続けているのに、被害者の私達が極限状態の収容所 以上にひどい住まいを与えられております。罰を受けるのは私達ではありません。加害者側にあります。私は正しい判断の元私達の顛末を正しく歴史に刻んでいただくことを願います。
世界中が顛末を見ています。国家の威信に傷を付けないように正しい判断が求められております。被害者はだんだんと気力と体力が弱くなってきていますので速い救援が必要であります。新社長は一度も謝罪にも挨拶にも来ておりません。
次に提言と原因の要点についてですが、国会事故調さんへの皆さんへの提言として、事故調査は大変重要なものでありますので、厳正にやって頂きたいと思います。細大漏らさず 調査をして頂きたい。現場を重視して自分の目で確認して頂きたい。足を使って細大漏らさず原因究明をお願いします。隠蔽と捏造には厳正な態度で救命をお願いします。原子力発電所がなければ事故が起きませんでした。
次に 解明を期待する点についてですが、原子力事業の規制当局に対する疑問であります。重要会議の議事録がないと国民に対して言うことは背任行為だと私は思います。出さなければならない情報を出さなかったことで被ばくをさせられた事は国民に対する保護責任に対する責任の放棄であります。
事故発生を予測しなければならない立場でありました。国は責任の全容を明らかにしなければなりません。設置許可権限者の責任。Mark-1 型は当初から不備を指摘されていました。それなのに放置されました。完了検査の責任は重大であります。規制側に相当の技術者がいたのでしょうか?
(00:25:50~)
検査員の検査結果の検証はされていたのでしょうか? 電力の申請書類の検査記録のチェックは正しかったのでしょうか? 検査において東電の指導を受けないで行なっていたのでしょうか? 全て検査記録は保存されているのでしょうか? 品質の確認はどのようにしたんでしょうか?
形状、寸法、材質などの検査記録は存在しているのでしょうか? 責任序列は決められているのでしょうか?責任を取らない仕組みは存在していないのか。予知能力は有しているのか? 電力会社が検査の下書きをしていなかったのか?検査に談合がなかったのか?
経済優先で現場の意見は封殺していなかったか?検査に妥協はなかったのか?将来予測はできていなのか?福島にある現在のオフサイトセンターのあり方がよくわからない所があります。以上のような点も含めてしっかりと調査をお願いしたいと思います。
東京電力に対する疑問ですが、事故につながった経緯の検証をお願いしたいと思います。経済優先のため、現場の声が封殺されていなかったのか?組織が2つになっていなかったか?本店と現場ですね。上司は本店から来るので任期中に生じたトラブルの責任回避をして本店に戻った事例はなかったのか?
今回の事故につながる隠蔽はなかったのか? 他に隠蔽事案が存在していないのか? 現場が捜査を知らなかったのは社長の経営責任です。人材育成はされていたのか?必要な技術者の確保に努力されていたのか?機器管理部門は機能していたのか?
危機管理は後ろ向きでなかったのか? 事故を矮小化することは許されません。津波を予知し、放置した事案の確認もお願いします。社会の一員としての自覚があるのかどうかわかりません。今も被爆者を出し続けているのに、他人ごとのような振る舞いが許されません。賠償の態度も謝罪の心が感じられません。
事故の全容が明らかでないのに明らかにされないのは古いためではなかったのか? 操作技術の伝承は言い伝え、あるいは仕事を教える、そう言う伝承ですね。そういう伝承はされていたのか? 検証は誰がしたのか?社員教育の実態はどのようなものか、など疑問な点がございます。
また、気象庁に対する疑問でありますが、地震と津波の情報提供に問題がなかったのか?津波の大きさは高さだけでは不十分だと思います。大きさの判断基準を見誤ったことで被害が大きくなったのではないだろうか。津波の大きさは高さと波を押す時間に比例するんではないだろうか。
度々出されていた大津波注意報に国民離れていました。警報を整理して、国民には新しい基準を示して熟知を促したいと思います。電力会社に普段、いろいろ注意を換気していたのでしょうか。
次に初見に入ります。被ばくについて入ります。訳のわからない安全基準の話が多い昨今、被ばくに安全なものはないと私は思います。線量が低いか高いか、また発症するかしないかで判断するものではないと思います。外部の人が判断する基準なども用意されておりません。
自分が感じたことしか申告できません。ましてや我々には立証する手立てなど確立されておりません。一般公衆では1mSv/y が限度とされています。これに変わるものはありません。裁判でも示されております。従って従来から自然界にある放射能以外の放射能にさらされるのは、事故による被ばくと判断できます。
尚、作業環境上の被ばくは、限られた空間で、限られた時間だけの数値で、その場を離れると被ばくをしません。数値計算には量と時間で積算したものになります。一般公衆では継続占領と24時間、そして1年間で計算しなければなりません。混同して示しているのは無責任極まりありません。反省を求めたいと思います。
次に報道についてですが、報道の力は絶大です。被害を大きくも小さくもします。正確な情報の提供が大事であります。真実を伝えるのが大切だと思っております。後世のために、後の我々の子孫のために正しい記録が必要であります。
次に福島県に対してですが、県民に的確な情報を出されたのでしょうか?県民の保護にずれが生じていないでしょうか?県民は大きな援助の声を渇望しております。県民のために国に要望をドンドンと出して欲しいと思います。放射能の機器園を大きくアピールして頂きたい。
県民の被曝防止を積極的に進めて欲しいと思います。東電に大して県民の要求に対して協力してもらうように強い代弁をしてもらいたいと思います。県民の利益のために国に協力を要求して頂きたいと思います。県民のために国と東電に対して強く交渉して頂きたいと思います。
次に原子力損害賠償紛争審査会に付きまして、今後、私達が東電と交渉する上で出された指針が妨げにならないか大変心配しています。後でも述べますが、我々にはまだ紛争が起きていません。起きていないのに中間指針を先に出されていました。この指針は我々の事態を詳しく調査して、あるいはその結果として出されたものかどうかわかりません。
出すのであれば実態を正確に調査して出して頂きたいと思います。どのように計算したのか、積算根拠をお聞きしたいと思います。私達には前例があります。一つは請戸漁協の漁業補償です。五千万円、三千万円という過去に補償の話がありました。また、東海村のJCO事故の賠償があります。そのような考えのもとに以下について意見を述べます。
審査会開催の経緯を公開して頂きたいと思います。なぜ、紛争前に指針を出したのか。なぜ交通事故事例を引用したのか。東電の思惑は働いていないとは思いますが、委員の選考はどのようにされたのでしょうか。中立性が確保されるように文部科学省から書簡を書いて頂きたいと思います。
指針作成は算定式を公表して頂きたいと思います。今回の事故の大きさに負けて作っていないではないだろうかと。後世からこの指針のあり方が訴追されないだろうかと。現場を熟知して自分たちでまとめていったんでしょうか。総額ありきでまとめていないか。
矮小評価の働きはないでしょうか。被ばくの算定がされていません。中間指針が被害者に不利に作用しているように思えます。そのぶんの不利益はどうすれば良いのでしょうか?
次に放射能について。無主物。主のいないものとはとんでもない言葉だと思います。持ち主がいない場合に使う言葉だそうです。外部に飛び散った放射能は東電のものではないそうです。だとすれば一体誰のものか疑問です。中間貯蔵施設に持ち主がいないものをだれ受け入れることが出来るでしょうか。
こんなものを受け入れて責任を転嫁されたらたまりません。次の世代の町民から叱られます。後、最近、新聞で見た記事ですが、27日の朝日新聞の記事であります。保安院が全電源喪失対策についてアメリカのスリーマイル事故の検証をした結果、アメリカでは対策を講じた。
日本では対策を講じてなかったことが報じられました。この事については私にかぎらず、多くの被害を受けた福島県の、全国の皆さんは憤りを禁じ得ないものと思います。
後から色々出てきますが、どうかこのような多くのことを申し上げましたけれども、問題提起させて頂きます。町民は 正しい事故調査がされて心残りのないような結果を期待しております。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
●黒川清 委員長 00:37:40 ~
ありがとうございました。本当に町長さんの気持ちが伝わるメッセージありがとうございます。皆さん色々ご質問あると思いますし、意見交換したいと思いますので、先ず双葉町について私からちょっとと思います。先程、4月19日と言いましたが、これは間違いでありまして3月19日ですね。
実は約1200人ほどの方がスーパーアリーナの方に移られて、それから4月から、3月31日に加須市に移られたということですが、勿論、町民の方々全部で 7,000人ぐらいですけども、県内に約半分、その他に県外に約半分。
その内の中でも、いわき市が1,100人、いろんな所にお願いしておりますし、仮設住宅におられる方も、ここもそうですが、いろんな方々が仮設住宅とは違いますけれども、本当にご苦労されておられるところだと思います。
そこで、先ず3月11日直ぐに福島第一原発の直ぐ横ですけど、勿論、津波にも襲われているわけですが
、本当に夕方から夜、大変だったと思いますし、町長さん、佐々木議長さんの方からも、この街についてはホームページ、それから町長さんのメッセージがずっと出ておりまして、本当に気持ちが痛むところですが。
その当時も本当に、その、町民にどのように指示したらいいのか、その前には今、仰ったとおりで、東電、あるいは原発、あるいは保安院についていろんな会話をされておられたということですが。さて、そこで具体的に実際に起ってしまった時の大混乱といいますか、大変だったと思うんですが、そのことについてお話を聞かせてもらってよろしいでしょうか。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )00:39:40 ~
はい。誠に何をどうすれば良いか分からない状態でありました。先ず、11日の夜は町内で町民の皆さんのうちにも住めない状態でしたので、公共施設、学校等を使ってそちらの方に町民の皆さんに避難をして頂きました。中の地区、中浜地区の皆さんは津波の被害に遭われた方、また血を流された方も降りまして、本当に命からがら避難をされて学校等に避難をして一夜を過ごすわけですが。
先ず、電気の確保、それから飲料水の確保、これが先ず先でした。運よく停電した地域は少なかったのでなんとか一夜を過ごすことが出来ました。そんな中にあってもですね。郡山地区、あるいは細谷地区の皆さんはそれぞれの自分の所の公民館に避難したんですが、午後8時過ぎ頃、2kmあるいは3km以内の避難指示が出ました。
これは羽鳥とか寺沢とかあちらの方に分散避難しまして、まあ、この程度で終わってくれればいいなと思っていたんですが、5時44分、政府の方から避難指示 10km以上と言うことが出ました。これはもう大変なことですね。その時、よく記憶が定かではないですが、県のほうから川俣町の方に双葉町は避難するようにということを職員の誰かから耳打ちされたと思うんですね。
で、6時過ぎに川俣町長さんに電話を入れて了解を取りましたら、どうぞおいでくださいということで歓迎されましたので、それを聞いて防災行政無線を使ってですね。皆さんに避難をお願いしました。何故か私の街にはバスは用意されてませんでした。
隣の町にはバスが来ていたそうですが。この辺はよくわかりませんけども、とにかく今は離れることが先だということで、家に戻ることもなく、皆さんは車に相乗りして逃げたんですね。この時、ほんとうに残念だと思ったのは、普段こういうことが起きなかったから、自動車に燃料満タンにしてなかった車があって、これが乗れなかったということで、乗れるところまで乗っていって、また、相乗りして避難したと言うことが一つ悲劇ですね。
後、通信が全然途絶えたと言うことが悲劇です。もう一つ最大の悲劇はですね。つねづね我々、私の先輩の町長さんからずっと言い続けてきたのは、逃げる道路の114号線の道路改良。逃げるための整備を県の方にお願いしてきましたが、全然されていませんでした。ここが大渋滞してですね。
1号炉の爆発の影響も途中で受けるようになってしまったんですね。本当に踏んだり蹴ったりといっていいんでしょうか。簡単に言うとそうですね。そういう中で川俣町さんに避難したり、あるいはそれぞれの親戚縁者を頼ってですね、分散してしまってですね。
この時に第一回目のばらばらが発生して、なかなか携帯電話も使えない中でですね。避難先では電話一本ありました。有線の電話が一本。
これを災害対策に使おうと思っていた所が、電話番号が町民の皆さんにわかってしまって、安否確認で年がら年中徹夜しても安否確認に掛かる電話のために災害対応になかなか使えなかった、という苦しさもありますね。通信回線が如何に大事かということと、いわゆる交通インフラですね。
この辺の対応は普段からやっておかないとダメだと感じました。それから、やはり、常に毎年避難訓練やってますけども、もっともっと違う意味の避難訓練が欲しかったなぁと。今は思っております。
●黒川清 委員長 00:44:15 ~
ありがとうございます。委員の方も非常に聞きたいこと沢山あると思いますが、もう1つだけ。最初の時のいろんな情報がどうやって入ったのかなという、本当に現場の7,000人の町長さんとしてはほんとうに大変だったと思うんですが、実際に何が起こっているのかという情報はどうやってとれましたかね。
本当に通信網がかなり断絶されていましたので、県庁もそうですし、政府が何やっているのかな、という話は、今おっしゃったとおりだと思いますが、どうやってとれたのかなという話を伺わせて頂けますか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )00:44:55 ~
はい。川俣町に避難して直ぐお願いしたのは、県の災害対策本部の方に放射能測定、スクリーニングを全町民にすみやかにやってもらうことをお願いして、日時を決めましたが、しかし、予定してもですね。朝9時に来るといっても来なかったんですね。
夕方になっても来なかったんですね。約束が違うもんですから私もちょっと怒りまして。直ぐ県庁の災害対策本部に車飛ばしていきました。中々もどかしかったんですけど、ついてみたところがですね。県庁の災害対策本部は、ものすごい大混乱だったんですね。
ああ、これじゃあとても叱るようなことは出来ないな、ということで帰ってきましたが、そんな事で、情報というのはテレビの映像が唯一の情報でした。1号機は既に爆発しましたけど、2号機、3号機というあの状況をつぶさにテレビを見て何回かは徹夜しましたね。
あの状況を見て。勿論、線量計も持って歩いていましたので、線量計見たりテレビ映像見たりして3号機の爆発を見てその辻の展開、燃料貯蔵プールの行方も心配していました。本当にどうなるものかということで心配しておりましたが、通信が途絶えたということで、恐らく政府も連絡取りたかったとは思うんですが、政府の方からの連絡というのは殆ど避難指示以降はありませんでした。
●黒川清 委員長 00:46:40 ~
どうもありがとうごいましたた。委員の方も色いろあると思いますのでよろしくお願い致します。どなたか。はい。どうぞ。
●櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)00:46:50 ~
委員の櫻井でございます。ただ今のことにちょっと関連した話なんですが、先程、2km、3kmの避難、あるいは10kmの避難ということを言われて、そのたびに大変混乱したというお話でした。これらの避難指示というのはどんな形で町長、役場の方に伝わったんでしょうか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
あの、5時の時はですね。私はまだ庁舎に居りました。夜の時は避難していた町民の皆さんの所の見回りに出ていたものですから、私に情報は来ないまま現場の、役場にいる職員の方から書く部落の首長さんの方に連絡が行ってですね。回っている途中でもその情報をキャッチしてですね。
そのまわったときにはもう郡山の人は羽鳥の方へ避難しているところに私が行くようになりましてですね。結果的には合流したということでしょうか。携帯使えませんから。役場の無線を持って出てたものの、なかなか出入りしていたものでしたから十分ではありませんでしたね。
●櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
ありがとうございました。ちょっと一点だけ。役場の方はどうやって知られたんですか。夜の場合の 5時44分の時は。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
これはちょっと確認してませんでしたが、剣だったと思いますね。県の対策本部だったと思います。
●櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
こんなご質問をしたのは、場所によっては殆どそれが入らなくて、いろんな別のルートで知ったという、特に報道関係から知ったということもありまして、先ほど町長が言われていたような通信の途絶等のが大変多いな問題になっているという観点からです。ありがとうございました。
●黒川清 委員長 00:48:45 ~
その他に。考え中ですか。はい。どうぞ。
●大島賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)
委員の大島です。大変に重たいご指摘を色々伺いました。ご説明の中で原子力に携わる人間、人材の問題に触れられました。これはいろいろな分野があるわけですが、
東京電力の中での原子力を扱う人材の人たちの話から、それから実際に原子力発電所の現場で日頃の検査とか修理に当たられる人も含めて色いろあると思うんですが、
特に現場サイドにおいて修理とか訓練、検査に当たる人たちは、これも恐らく下請け、あるいは孫受け企業といった色々なレベルの話があると思うんですが、この辺について町長のいろいろなことを見てこられていると思うんですが、実態について少し明らかにして頂けませんでしょうか。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
はい。詳しくはわかりませんけれども。通常の勤務体制と定期検査の時の勤務体制が大きく2つにわかれます。問題なのは定期検査の時にですね、通常よりも多くの作業の方たちが増えますね。この方たちは一体どうやって訓練されているのかなぁという疑問はありました。
それから仕事の請負大勢の複雑さもあると思いますね。正社員、あるいは臨時雇用。あるいは本当にスポット的な雇用関係がありますので、正規社員であれば社会保障をしっかりされていると思いますけれども、スポット的な応援みたいな形の方たちが社会保障もない中で日雇いの中で果たして訓練ができるんだろうかと。
そして仕事の連続性というのは取られているのだろうかと。そういう部分には大変疑問を持っておりました。これはやはりは中側である、いわゆる設置者である東京電力がですね。末端まで完了して、末端で一番大事な仕事をするのが末端の方なんです。
この方たちのネジの締め方とか部品の使い方、あるいは手順、これらも本当に確認されていたんだろうか。先ほど検査のことを一杯出しましたけども、チェック機能が働いているとは思いますが、たまに運転を再開する前の試運転の段階でトラブルが結構有りましたので、多分にそういう事の関係かなと判断していました。
●大島賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)00:52:10 ~
ありがとうございます。もう一点ちょっと現場のことについてなんですが。町長の先ほどの話の中で現場の声が経済優先の考慮によって十分上部に届かなかった、そういう声が封殺されたのではないかという趣旨のことをちょっとお話になったと思いますが、
東京電力が民間企業ですから当然経済考慮というのは色々な面で働くんだろうとは思いますが、絶対に事故があってはならない原子力発電の場において、経済優先の考慮のために手抜かりがあったとか、ゆるくなったとか、そういった思い当たるような実際のことがあったのかどうか。その辺について如何でしょうか。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
はい。全体は掴んでおりませんが、これも実際に数値を確認したわけではありませんが、定期検査の時間を短縮するとですね。なんか東京電力の方からご褒美が出たとかという話も過去には、良くやったなという事でですね。そういう話は聞いたことがあります。
それから定年に対してですね。どこまで上まで上がっていったのかという所もたまには上がってないのではないのかなぁという思いも少しありましたので、本当にこの辺は実際にどうなんだろうという意味で、先ほど申し上げました。
●黒川清 委員長 00:54:15 ~
町長さんの方に是非言って頂ければと思いますが、その他に良いですか?はい。石橋委員。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授) 00:54:25 ~
ちょっと私の聞き違いかもしれませんが、先程、違う意味の避難訓練が必要だったなぁと思ったとおっしゃったと思いますが、具体的にはどういうものが必要と?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
オフサイトセンターってものすごい近いところにあったんですよね。それで結局使い物にならなかったと。だとすれば、設置の地点でこういうことは想定しなくて良かったのかと思いました。あれだけ近いところにせっかく作るオフサイトセンターがですね。
最初から使えないというのは、判断するときにはそれを考慮して距離をとって機能すべき緊急時対応センターですから。それが最初から使えなかったというのは、これはやっぱり判断された方に私も聞きたい。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授) 00:54:25 ~
それにちょっと関連しますが、これはもう最後の方に伺うべきことかもしれないですが、町長さんは全国原子力発電所 所在市町村協議会の副会長をなさっているということで、去年の3・11来、大変なご苦労をなさってきたわけで、
勿論、この日本列島で二度とこんなことがあってはならないと思いますが、現実に原発と向かい合っているというか、抱えている市町村は沢山ある訳ですが、そういうところの首長さん、及び、住民の方に、今一番に言いたい事、2、3点、言いたい事があったら教えて欲しいんですけど。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
はい。これはご質問いただいてありがとうございます。ぜひ喋りたいところですね。要するに原子力発電所を設置してよかったのか、悪かったのか、まだ結果は出ていませんが、今時点では決してよくありません。多くの国民の皆さんが私のところに文句を行ってくるんですが、原発誘致しておいて、あんなに交付金をもらっておいていい思いをして、今頃、放射能いらないとは何だと、お叱りを受けるんですね。
あんなにいい思いをしたということが、国民の皆さんに正確に伝わっていないんです。どういうふうに良い思いしたのかというのを、まず私説明しなければならなかったんですけども、あのう、街には基準財政需要額といって、総務省で決めた基準がありますね。
これを基準にして交付金がいっぱい入ると交付税が減らされるんですね。双葉町は3億円、小泉改革によって6億円から半分になって3億円しか今入っていませんが、で、福島県の中で会津地方のある市町村の中では、交付税が50何億円もらっているんですね。
そのかわり 交付金というのは少ないんですね。だとすると、これは国民の皆さんは全くわかっていない。全部 私らが多くもらっているんだと思ってらっしゃるんで、これはぜひ、全国の皆さんに知って頂きたいのは、交付税が減らされるんですとうことですね。
従ってそんなにいい思いをしているわけではないとうことです。そんな中で原発立地をして確かに交付金を頂いていろんなモノを整備しました。建てました。作りました。それを全部今はおいてきてるんです。過去のものになってしまったんです。
じゃあ、今我々は何を持っているのかというと借金を持っています。町民一人あたり相当な金額の借金を持っているんですね。借金を置いてきたかったんですが、それはできないんですね。それ以外に失ったものは膨大です。
先祖伝来のあの地域、土地を失って全て失って、これを是非、全国に原発を立地されている方には調べて頂きたい。見に来て頂きたい。目を閉ざさないで現実を見に来て頂いきたいと思います。どんなに良かったのか、どんなに悪かったのか。来られれば説明します。
結果的に我々は大変な目にあっておりますので、私は良くなかったなと。そんなふうに考えています。しかも東京電力は賠償金を払わないような動作も見受けられますが、今まで営業して自分たちの家族を養い、いろんな思いをしてきてこれたんですね。原子力発電所があるが故に。
そういう思いをどこかで清算しないまま行く訳にはいかない。その清算というのが賠償なんですよ。これは、何だ、また賠償でお金もらうのかと言われます。全国の皆さんから。でも我々は、損した分を補ってもらうだけであって積み上げてもらう訳には行かないので正当に請求しなければならない。
このような思いを全部トータルすると、ものすごい高さの負の部分が高くなるので大変だとおもう。また、東京電力はマーケットが大きいです。会社も大きいです。地方の電力会社がこんなことになったときに自前でなんかこんな事できないですね。
もっともっと悪い待遇になるんじゃないでしょか?そういうことを考えなければならないのか、考えなおさなければならないのか、これは立地の皆さん方がよくご判断頂きたいと思ってます。
●黒川清 委員長 01:01:00 ~
ありがとうございました。その他にどうでしょうか?どうぞ。横山委員。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)01:01:10 ~
ちょっと最初の方にかえるのですが、避難されるときに川俣町の町長のお話があって是非いらっしゃいといって頂いたと。場所としては結果的には悪くなかったかもしれないけれど、SPEEDIのデータを見るとそちらの方向に広がっていたわけですね。
たまたまとか偶然とかいうことなんでしょうか?それともそういう時の体系とかそんなことは考えていたのか、そういうことはあまり考えていないのか?どうなんでしょうか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
これは双葉町と浪江町の問題ですが、当然、そういうものが手元にあればですね。違った方向に舵を切りました。従って川俣町いおいても多少なりとも被曝してますね。この罪の深さというのは、我々にとって計り知れないほどの大きなものと考えております。
もっともっと上のほうで、国のほうで、そんな我々の思いやりかどうか分からないが、パニックになるとか何とかいう問題ではありません。やはり、知らせるべきものはちゃんと責任をもって知らせるべきだと思いますね。たいへん私は残念だと思います。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)01:02:50 ~
先ほど、県の対策本部に行ったら、みんなてんやわんやであって文句も言えなかったというような趣旨のことをおっしゃったんですが、そういう非常時だからこそ、頭がうまく回らなくてもきちっと動けるような体制というのはあり得るものではないかと。
気が動転してしまうのは、みんなそうであって、何かその辺の県の体制というのは、もっとこういうのはあり得るのではないかというお考えはないでしょうか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
大変厳しい質問になりますけども。そうですね。普段通りというふうに考え、どういうふうに準備していくかは大事だと思います。これは県に限らず双葉町もそうですけれども。福島県は復興にしても津波、地震、それから原子力発電所の事故ということで、宮城、岩手よりは、ひとつ大きな課題を抱えました。
そのあとは風評被害ということになっていますが、このような多くの課題を抱えてしまった自治体、件は他所の県でも機能していただろうかということを考えると、一概にそのようなことは私の口からは言えませんが、ただ全体として、埼玉県の上田知事さん、全国の災害関係の会長さんやってます上田知事さんに申し上げたのは、今、福島大変なんだ。だから件でやっている業務の一つぐらいは近隣の県で奪っていただけませんか、取り上げていただけませんか。
それが結果的に私どもにとってはありがたい事なんです。もし、埼玉県でそういうことがあったときには、きっと同じく福島県と同じ事になるでしょう。だから早くそういう制度を作って日本において、要するに機能を分散すると言うか、要するに助けあいという制度を知事さんの方から国の方に行ってまとめてもらえませんかと。
いわゆる災害救助法の改正と私は常に言ってますけど、もう災害救助法は古いですね。もっともっと前向きに我々が仮設住宅に入らなければならない理由はないんですが、でも仮設住宅に入るように向けられてるんですよ。私は不満なんですね。そういう理由はないんですよ。
先程も言いましたが、東電の社員の家を我々に提供して、社員が仮設住宅に入るべきなんですよ。だけどもこういう想定外の事象と言いながらも起きたんですね。だけど対応されるのはみんな既存の法律ですべて対応されているために多くの町民の皆さん、県民の皆さんがもどかしくて
「首長なんだぁ!何やってんだァ!」という意見が多いんですが、私は2つの間に挟まってどうにもならない所があるので、ぜひ今度の事故を堺にしてですね。国の制度のあり方も含めてこういう危機対応というのは全体でやっていかなければならないと非常に感じました。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)01:06:25 ~
あのう、既存の法律で対応ということが起こっているようですが、今それを越えて対応された例は皆無なのか、それともあるのでしょうか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )
皆無ではありません。災害救助法もですね。運用の拡大という解釈の拡大をしてですね。対応しております。あとは今度の3次補正とか特区とか色々きますけど、まぁでも、これだけ時間がかかってしまうわけですね。
だから、この次の災害を想定するわけではありませんが、私どもに相当な権限と緊急時には自由に使ってい曰くのお金をですね。基金化なんかでプールしておいてですね。速やかに対応できる体制を作っていただきたいと。もう一つ仮設住宅には最初から抵抗していたんですね。
我々はそういう約束のもとに原子力発電所を誘致したのではないと抵抗していた。今もって職員は住民対応をしてるんですね。最初から。12日から住民対応をずっとしてるんですね。
こんなことをずっとやっていたら、それをしない地域の方と我々の経済成長がマイナスに作用していますから、こうしているだけでも格差が付くんですね。そういう事しないように無人の村を菅総理に頼みました。無人の村を用意して頂けませんかと。そろそろ。
日本は災害列島だから。そしてその無人の村に何かあった時に、みんなでどーんと入ってしまえば、住民対応しなくても、明日から新たな場所が、新たですが継続性ができるということで、無駄な労力もなくていいだろうと。そういう話を菅総理にしましたが、「うん、いいアイデアだ。プランできたら見に行くから。」といったまま見ないで終わって行きました。
残念ですけどね。そういうふうに今回の事故はあらゆる事故から掘り下げて、対応を変えるように、体制を変えるようになってほしいなというふうに思います。
●黒川清 委員長
ありがとうございました。どうぞ。崎山委員。
●崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )01:08:45 ~
町長さんは東電に安全なのか安全でないのかいつも念を押していたとおっしゃっていましたが、町民のみなさんはそういう危機感は、こういう事故が起こりうる事を十分に認識してらっしゃたんでしょうか?他の所で伺った所によると、東電のPR館とか、
子供の頃から安全だ、安全だと教育されてきて、まさかこんな大きな事故が起こるとは想像もしなかったと仰る方が大部分なんですが、そういう危機意識という事に関しては如何ですか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
町民のみなさんと危機意識の共有というのは難しかったかと思いますね。要するに東電の広報の社員の方は、先ず、うまく我々に対しては安全の触れ込みをしておりましたので、事あるごとに安全だという事をPR していました。まさにPRというのは安全のPRをしていたんですね。
知っている方もいますが、危険を指摘しても、それは小さな声で超えにならなかったんですね。どこかそういう声が出ると声なき声になってしまうという所もあったかも知れません。で、私も絶対起こさないというその言葉を頂いてずっと来ましたからね。事あるごとに安全については東京電力の上の方、上層部の方ですね。保安院の方、責任ある方にも時々心配だからぶつけてたんですけどね。
でも、その度に「絶対」という言葉を度々使ってました。これが立地環境を良くするためにそういうふうになってしまったかもしれませんけど。共有はされていません。むしろPRのほうが先行していました。
●崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )
ヨウ素剤はどういう形になっていました?各配布はしてないですよね。避難所かなんかにおいてあるんですか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
通常はですね。私どもはそうそう保健所、保健衛生の。そこにあるんですね。そこから配布されることになっております。で、双葉町の多くの町民の皆さんには避難してから川俣町に来られた方は川俣町で投与を致しました。後、自主的に遠くに離れた方には多分届いていないと思いますね。
この要素剤の投与について私は、ちょっとどこから指示が来たのか、ここではちょっとわからないが、一応配って飲んでもらいました。ええ。はい。日時はちょっと忘れましたが、川俣町に避難してきてから2日か3日ぐらいだったか、それぐらいの時に。(オーディエンス町民 13日)あ、13日、すぐですね。
●黒川清 委員長
では 田中委員。
●田中耕一 委員(化学者 株式会社島津製作所フェロー)01:12:50 ~
委員の田中耕一です。本委員会は事故の究明と未来に向けた提言をするということで、それの両方にかかることだと思いますが、いわゆるキーになる言葉は絶対安全ということ。科学技術がまだ完璧でないのに絶対安全ということをは矛盾しているという事で、
町長ご自身の、町長としての仕事以外に技術に携わっていたということで、それの、矛盾だな、これはおかしいなということに気づかれていたということで、そういう点ではずっと色々気にはされてきたいた事だとは思うんですが、そういう絶対安全という事を押し通し誰がために、逆に施策が遅れた、例えばヨウ素剤というのが今あがりましたが、それ以外になにか気づかれたことはありますでしょうか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
はい。いっぱいありますね。まずひとつは町民の皆さんと約束を出来なかったということですね。こういうことが起きた時の役割分担とか、方向性とか、そういったものができてなかったということですね。絶対安全でなければ、当然想定して皆さんとどうしようと。
起きたときにどういう役割を分担しようと色々、今回、通信の問題があって皆さんと連絡取れない時期がありましたので、そう言った事に対してどういう対応するかということも出来たと思うんですね。いわゆる危機管理のためには予測も大事だと。予測したら対応も大事だと思います。その対応が出来なかったということに、今大変つらい思いをしております。
●黒川清 委員長
では 野村委員。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)01:15:10 ~
委員の野村でございます。今日先ほどのご説明を伺っていますと、事故直後は町長ご自身の様々なご判断で、また、その人的なネットワークで他の町長さんに連絡を取られたり、そういう中で住民の方々の避難誘導をされてきたというお話だった訳ですが、その後、事故後に政府の方から町長に対してきちっと連絡が入ったりしたのはいつのタイミングだったのか?あるいはその時にどういう連絡があったんでしょうか?
もしかしますと全く連絡のないご発言かもしれませんが、国のほうが町長に対して何かのご指示があったのはいつの段階だったか、ご記憶があれば教えて下さい。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
総理が来られて事故の謝罪も受けましたけども、具体的なアクションプログラムと言う事、事故報告とういことはまだありません。記憶に無いですね。大臣も来られますけども、政務官も来られますけども、それは部分的な話出ですね。いわゆる総括的な我々が、ああ、こういうことなんだとか、今後こういうことが見えるんだということはないと思っております。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
すいません。私の聞き方が悪かったかもしれないんですが、具体的な避難とか、今後の、直後のですが、国の方からこういうふうに避難すべきだという連絡は全く来なかったという理解でよろしいですか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
はい。全くありませんでした。
●黒川清 委員長
石橋委員ですね。どうぞ。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授) 01:17:10 ~
原発が絶対安全かどうかという話なんですけど、2007年7月16日にですね。同じ東電の柏崎刈羽原発が新潟県中越地震で被災して、あれはよく見るとかなり際どい、まかり間違えば福島みたいなことになったかもしれないような出来事だったかもしれないんですが、
東京電力、保安院、あるいは専門家も非常に矮小化しようとして安全であると言ったフシがあるんですが、あの時にですね。長年、絶対安全というのが怪しいと思っておられた、だけどモアの具体的な出来事を見て、やっぱりこれは福島県でも現実の問題かもしれないと思われたことはありますか?それともそうはお感じなりませんでしたか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
あのう、こわいなという思いはありました。でも津波の大きさというのは、私も正直、わかりませんでした。大津波警報はしょっちゅう出てましたから。だけど私のところは大体50~60cmぐらいで済んでたんですね。だから大津波というのは高くても精々5~6mぐらいと。とんでもない大津波でもそれぐらいと思っていたので。
全く今回の事故の同じような形の想定はできませんでした。柏崎も相当大変だったと思いますけど、燃料貯蔵プールのミスが波でもって溢れたという話もありました。しかし、今回の大きさというのは、私も想定できませんでした。
●黒川清 委員長
町長さんと委員とのこのセッションは後10分ということになりまして、そのあと町民の皆さんと、勿論町長さんもそちらに参加してやってもらいますので。後10分ということでご質問はございますでしょうか?
●蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)01:19:50 ~
すみません。蜂須賀です。事故調査への提言ということ、それはしっかりと承りたいと思います。そのために私がいるのかなと思っとります。ですから第一回の委員会も、先ずはここに書いてある、お話されているとおり、現場を見てもらわないとこの先生方にわかっていただけないのかなと思いまして。
先ずは 福島第一から始まって、いろんな所に入っていただいております。それと聞き取り調査の方も、各先生方が自分でこちらのいろんな所に出向いて行きまして、実際の話を聞かせていただいて、私達の参考とさせて頂いております。
ちょっと間違ったことがあれば、それは違うよと。今、町長さんが色々お話させていただいたけども、本当に胸がつまる思いがいっぱいあります。ただしかし、私は一町民ではなく、今回委員としての立場でやらなければならない事に、すんごく辛く感じることもあります。曲がった方向、そういう事がないようにしっかりと受け止めさせて頂きたいと思います。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)01:21:15 ~
先ほど何度か、今後二度と起こらないようにということで仰っておられましたが、先程もお食事の時にちょっとお聞きしたんですが、技術者であられるから現場で見ていてどうお感じになったのか。
どういう会社の方から、まあ、漠然とした話だが、第一はもう40年近くたっており、技術もだいぶ変わっているはずで、柏崎の経験も踏まえ、いろんな進歩を持ち込みながら改良というのは本当にされているのかどうか、それはそれでそういう報告があるのか。
今後、この経験を生かしてどういう改善、要するに50いくつ存在しているわけですから。何らかの改善はいろんな議論は別としてやらないといけないと思いますが、どういう方向が必要だとお考えでしょうか?
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
そうですね。簡単に技術の伝承と言うか、まあ、そういった思い、伝承というのは難しいんでしょうけど、私は学校教育の中で「求められている人材に」という言葉を子供たちの現場に入れました。社会から求められる人材というのは、やはり必要性を感じてもらうことが大事ですねぇ。
何かができることが必要ですねぇ。何がなくても意見が求められることはありませんので、プロにならなければなりません。プロを目指すということはやはり、ゼロベースといっては何ですが、積み上げていくことが大事なんですねぇ。
ペーパーライセンスとか、マニュアルだけでなんかできるというのはそう簡単なことではないはずなんですけど、東京電力の55歳で定年退職という制度はですね。私は当初からは危ういなと思っておりました。従って建設当時の外せさない方を別の部屋を作ってですね。
まあ、あのう、ご意見番の部屋を作って大事なことは、そこをとしてなんかの検討課題に上げていくというプロセスの中にですね。そういう部屋を通していくことが大事ではないだろうかということと、東電にはだいぶ前に話はしております。
簡単にせっかく習得した人、長くかかっていろんなことをわかっている人を定年だからという概念で社会に出してしまうことの損失のほうが多い聞いと思うんですよね。それは指摘しておりました。ですからその中で世代のスイッチというのは重なる部分が多ければ多いほど確実性が立つんですね。
ところがこういう突き合わせになると、突合せ溶接なんて言うんですが、突き合わせになると力は本当に弱いんですね。合わせることによって力は増しますから、この部分を東電には度々指摘はしておりましたけども、そうなっているのかどうか分かんないためにですね。危ういなぁという感覚で東電には大丈夫か、技術伝承しっかりやってんの?というと、「いやぁやってますよ」という言葉は帰って来ましたね。
やってませんという言葉は帰って来ませんでしたけど。しかし今回の事象の中で、操作がわからないとか、機能があったのにわかってなかったというのは、これは全く問題外の話ですね。
●黒川清 委員長 01:25:10 ~
もう一人と言う事なんですけど、差しさえなければ私にちょっと聞かせて頂いてよろしいでしょうか。今年、1ヶ月ちょっとですが、中間貯蔵地、その他の問題があって、もちろん一番の避難も色いろあるんだけども、第一原発のすぐ横ですから、最初の待避も大変だったと思います。
政府では中間貯蔵施設について双葉町を考えている一つだと思うが、細野大臣、あるいは野田総理の方からもどうしようかという要請もあったにや聞きますが、それについて町長のご意見をちょっとお聞かせいただければと思います。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長)
はい。これは大変大事な重要な問題ですね。まずひとつは理由付けですね。先程も申し上げましたが、裁判では無主物という取り扱いをしてしまったものをですね。引き受けるものになるんだろうということですね。引き受けた結果、やがての子孫がそれについて迷惑が起きないだろうか。
なぜ30年だと。30年と言い切っちゃってるんですが。30年の計算式が欲しいと。それから最終処分場の明記がなければないとならない。
持ってきたものは持って出すということも言われてない。ある高官によりますと、持ってきたもので高度処理してやがて車一台ぐらいしか持ち出さないんだという言葉も聞いているんですが、これはとんでもない心外な話なので我々が引き受けるための定義付け、これが大事であります。
そして、持ち出すところの最終処分場、これは全世界でまだまだ解決されてません。そんなに簡単に済む問題ではありませんので、まず、これも明記してもらわなければならない。東京電力の責任というのも明記されておりません。これも明記する必要がありますねぇ。
まだまだそこまで行くには一気に行かないと私は考えております。一刻の思い出ですね。やってしまって人形峠のように地域の住民が国を相手取って裁判をした事例があります。で、国は一審で敗訴してその後ずっと上告して最高裁まで行ったということは、
地域の住民に対して人形峠のウラン鉱石を捕るためにですね。お願いをしてやった筈ですけども、最後は裁判で闘うような形になってしまう。この問題も放置できないので、まだまだいろんな問題があります。こういう問題を解決しないとつくれという意見もありますけども、それは簡単ですね。
お金だけでやってしまうと今までの原子力発電所と同じになってしまいますから、よくよく慎重に検討しないといけません。
●黒川清 委員長 01:28:35 ~
ありがとうございました。このあと10分ぐらい休憩してということですが、今、7,000人の町に住んでいる方々をあの最初の3月11日の夕方からの本当に多くの苦労をされながら蝶としてのリーダーシップを発揮されながらですね。ここまでほんとうに大変だと思います。
それで町長さんの先ほどの言葉もありますけども、もっともっと全体の大きな枠組みの将来像を示してよと。そうでないと一つ一つが小手先の提言なので、そんなことだと困りますという話を先程から繰り返しされてりまして、本当に誠にそうだと思います。
そういう意味では、この町民の人達と長い歴史があるわけですから、これから先も大きなところを見据えた上で、今最後にもおっしゃいましたけど、他の国でも出先が最終的に見えてないことを行ってくるのはちょっと困るよというのは、なかなか大した見識、識見であるなと、私ども感じたところでございます。
本当に 井戸川町長としては 佐々木議長と共に、まだまだ続きますけど、これからも私たちの提言の一部の参考に大いにさせて頂きまして、これから本当に現場の被災者の、先程、蜂須賀委員が仰ったように色々ご意見を聞いてみたい、現場に行ってみたいと思っていますので、本当に今日はお時間ありがとうございました。
これからちょっとお休みして、町長さん、議長さん、それから町民の方々との意見交換の場に移行したいと思っております。ありがとうございました。第三回の委員会としては散会という言うことにさせて頂きます。どうもありがとうございました。
○進行 01:30:35 ~
それではですね。これから10分弱ですが休憩をしまして、タウンミーティングは 1時40分から行いますのでよろしくお願い致します。
第3回 国会事故調 タウンミーティング 平成24年1月30日 13時40分~15時30分
○進行 01:40:00 ~
始めますが、始める前にお断りを申し上げたいと思います。今日のタウンミーティングは事前にもご案内申し上げていますように、双葉町の皆さんからご意見をお伺いすることを目的としております。従いまして双葉町以外の方は傍聴者という事になりますので、ご発言できませんのでよろしくお願い致します。
それから今日のタウンミーティングのテーマですが、先ほどの委員会でありましたように、この国会の事故調査委員会はですね。
原子力発電所の事故の原因、被害の調査等を行うことを目的とする委員会でございますので、今日のタウンミーティングのテーマも基本的には3.11の事故、その後の避難等の状況についてお話をお伺いすることを目的としておりますのでよろしくお願い致します。
それから映像に皆さんが映る可能性については、委員会と同様でございますので、ご了承頂きたいと思います。それでは 黒川委員長よろしくお願いいたします。
●黒川清 委員長 01:41:20 ~
それではタウンミーティングということで始めさせて頂きます。開始するということでございますが、折角の機会ですので、双葉町の皆さんと活発な意見交換が行われればなと思っております。このタウンミーティング全体、今から3時までという事で、1時間20分ぐらいを予定しております。司会として野村委員を指名いたします。野村委員、宜しくお願い致します。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)01:40:45 ~
ただ今ご指名に預りました委員の野村でございます。本日タウンミーティングを実施させて頂きますが、間にたって司会がいないと話がスムースに行かないかと思いますので、私の方で司会を努めさせて頂きたいと思います。大変不慣れですのでうまくできないかもしれませんが、そのあたりはご勘弁頂きながら、色々有益な意見交換が出来ればなというふうに思っております。
私は元々、大学の教員で、いつもたって話をしておりますので、1時間20分ずっと立ってますけども、目障りかもしれませんが、気にせず、ずっとお付き合い頂ければと思います。
私どもはここの会場に来る前に騎西高校の方によらせて頂きまして、皆様方がどういうふうなご苦労をされているのか、短い時間でしたけども拝見させて頂きまして、大変なご苦労であるということを委員全員が胸に秘めて今日はここにおりますので、そういう意味ではご苦労の様子をさらにお聞かせいただければというふうに思っております。
今、先ほど事務局長の方からお話があったんですが、私どもの委員会といいますのは、この3.11という事故がですね。どうして起こってしまったのか。あるいはそれに至るまでに、みなさんは原発とどう向き合ってこられたのか。
更にその後には、避難をするにあたってどういうご苦労があったのかということをしっかりと聞かせて頂きまして、それを報告書の中にまとめたいという立場におりますので、出来ますれば、先ずはその辺についてしっかりとお話を聞かせて頂ければな、というふうに思っております。
こういう場でお互い緊張している所があると思いますけども、言葉を選ばずにざっくばらんにお話を頂いて結構かと思いますので、どうぞ気軽に色々とお話頂ければと思います。どうぞ最後までよろしくお願いいたします。それではもう手が上がっておりますので、では一番前の方からご意見をお聞かせください。
特にお名前とか、行って頂く必要は全然ありません。どうしても言ってからお話ししたいという方は、堂々といっていただいて結構ですが、別にお名前を言って頂く必要もありませんし。直接、お話し頂いても結構でございます。
●双葉町民A氏 01:44:00 ~
委員会の皆様方、今日は本当にありがとうございました。私は双葉町で農業をやっておりました。先ほど町長からもいろいろな話を聞きましたが、本当に双葉町民は好んでこのような場に立っている方は誰もおりません。改めてですね。はっきり言わせてもらえば、国と東電の責任重大だと思います。
後ほど保証の方も多分おられると思うので、私はなぜこのような状況になったのか思いをお話させて頂きますと、とにかく私も震災があった後、地区の公民館に避難しました。ご存知でしょうけど家は倒れ、苗も倒れというようなことでしたから。
ただその時にはまだ、普通の気持ちでは何かあったら地区公民館とか避難所でしたから。それから例えば次の朝ですが、川俣にいけという話は防護服北警察の方でしたか。私たちは、まさか、すぐに帰れるんではないかという気持ちで、普段の仕事してた時の服装で避難したわけですよ。
逃げる時、軽い気持ちで逃げました。でも、これからどうなんだべな、という話しを思いながら家族みんなで逃げた、避難したんですけど、今、話を聞きますと国や東電はそのことをなんて言いますかね。もっと町民双葉の被災した方々に話しできる方法がなかったのかということをつくづく残念に思います。
オフサイトセンターも、私思ったんですが、職員の方はいなくなってしまった。でもあれは緊急時の拠点になる筈でしたよね。そのようなところに誰もいない、そのような拠点を何故作ったんですかと。私は前年です。大変な税金を使って作って福島から(はっしゅう?)したとしたら、なんのための施設だったのかと思います。
そしてそのために情報も入らず、わたすたちは町長に信じてここまで来て、結果的に私は色々なことがって、私は家族共々良かったと思っていますが、しかし、やっぱり情報がないために福島に残った方々も居るわけですよね。
そのような方々も、もっとこれから先どうなんだァ、あの時、きちっとした情報が入っていればもっと適切なところに非難もし、それから、これからの暮らしもある程度見通しも立ったのではないかなぁという思いもしますと、本当にこれからのこともありますから、電気が停電した。
それから色々予備電源が使えなかった。そんなことに対しては、危機管理体制といいますか、色々ありますけど、そういう事に日頃から取り組んで頂けなかったのかなぁと残念です。勿論、津波に対しては地震に対しては、ある程度なったといいますけれども。
津波に対しては甘かったということで、すなみが来るか来ないかはともかくも、やっぱりあそこで全電源が喪失しなかったらば、という体制すらできていれば、こんなふうな状況にはもっと違った状況になったのではないかなと思って、そのことだけを先ず、取り組みをしっかりやって頂きたいし、
オフサイトセンターも、あのう、電源とか、予備電源とかではなくて、これからだったらば、今の太陽光もありますからとか、あのう、これは防災無線もそうですけど、そのような新しい技術で情報をやっぱり発信するような取り組みをして頂きたいと宜しくお願いします。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)01:48:25 ~
ありがとうございます。今とっても大切なご指摘があったと思いますが、今、ちょっと手が上がってるんですけど、今のことと関係しているような事の方でなにかご発言のある方はおられますでしょうか?今、避難の時にですね、まったく情報が入らなかったということのご発言でしたが。ではどうぞお願い致します。
●双葉町民B氏 01:48:50 ~
今日は皆さん、ご苦労さまです。私の正直な思いを申し上げます!先ほど、井戸川町長から縷縷お話がありました。私が一番驚いたのは、11日の午後5時に大変な報告があったということですが、我々町民にはひとつもそういう事は知らされておりません。
ただ、警戒警報のお話が、あれですね。なんでしょう。防災無線でお知らせがありました。それで、その後ずっとなんにもなくて、午後の9時に屋内退避という指示がございました。私はちょうど双葉町原発から4.3km離れている(みさく?)という所に居ります。
そこで私の家もだいぶ壊れたものですから、退避命令で昔から言われておるように、ええ、大地震の時には庭に床を述べて寝なさいということで、それに従っておりました。早く寝ようと思って。そしたら退避命令で隣のうちに行ってお世話になったと。
それで一晩、そこでご厄介になって、朝、午前7時に、ええ、堆肥の命令の電話がありました。これは役場の位置職員からであります!その内容は、これから川俣に退避して下さい。ただその一言でありました。なぜ、町長は、前日の午後5時に知っておったらば、どうしてマイクを握って我々にその状況を話して頂けなかったのか、大変残念に思っております!
なぜかといいますと、我々はどんな立場で、どういうふうにして退避すればいいのか分かりません。ですから、私は彼らが弱かったもんですから、薬をリックサックに入れ、家内には金と貯金通帳を持て。それだけでいい。自動車は壊れていたので、隣のうちに一緒に乗って退避しました。
ま、そんな事で、あとで色々調べてみますと、8市町村の中で!ただ一人!川内の村長さんが、自分からマイクで町民に語りかけたと、感動的な話をされたと聞いております。あのう、テープの残っておるそうです。是非聞きたいもんだと思っておりますが。
そのように、ある程度、そういうお話がありましたらば、これは大変なことが起こったということで、我々に心の持ちようを町長は話すべきだったと思います。そういう事で、私は4月の中旬に、縷縷観ずることがありまして、ええ、役場に公開質問をお出ししました。
13の項目につきて。これもまだ返事を頂いておりません。全く不誠実だと思っております。それから、もし上げます。我々は第一避難所は、今日みなさんが、委員の先生方が行きました(埼玉県立)騎西高校であります。第二避難所は福島県の猪苗代のリステルというホテルであります。
そこに4月4日にお世話になることになりました。私はたまたま猪苗代の家内の実家に居りましたものですから、その様子を知って、毎日通っておりました。そして4月10日にお世話になることになりました。それで、町長さんに来てくださいと何度お願いしても、我々は来てもらえませんでしたけれども 6月8日に我々と話し合いが出来る事になりました。
それは相当のお時間を頂きまして、真剣に話を致しました。それ以来、我々は一度も町長の顔を見ておりません。先ほど、町長さんはだいぶ立派なことをお話ししておりました。私もそのとおりだと思っております。しかし、私たち福島県内に住むものは、やはり執行者とお話をしたい。
有事の場合ですから、特にそう感じております。しかし私の最大820人おりました。その時に何故か私も最初から色々やってきて、私が建設したところのホテルがたまたま避難所になったもんですから、私が時事会長ということで、今日ここに来られている伊藤さんが副会長で、後は役場のOBの方にですね。事務局長になって頂きまして、それから役場の職員は最初、二人しか配置されておりませんでした。
それで人数が足りないので、どうぞ一つくださいということを何度も何度も電話をしました。その対応は全くなっておりませんでした。それから、先ほど大切な話しで通信網の話がありましたけれども、役場には電話は通じません。
何回かけても通じません。半日かけてやっと通じます。今もって私は覚えていますよ。電話は73-6880です。なんぼかけても出ません。それから町長に2、3回、携帯の電話もわかっておりますから、電話もしました。2回目までは通じてお話をしましたけれども、ある時期から一切携帯電話には連絡が通じなかったです。非常に寂しい思いをしました。
何れにしても、そういう事で、少し話は長くなりますけど。ええ。福島県の。避難生活をしておりまして、ええ、仮設もそろそろ出来上がる。実は仮設の申し込みも、先程、町長、ちょっと触れましたが、仮設は、ちょっと、あのう、7月の中旬頃ですね。やっと福島県にお願いしたのは。
できるのも一番遅かったです。その間、同様が非常にありました。7月15日でこのホテルは退出しなくてはいけない。そんなことはないですよといって、何度話しをしても町民の方は心配で心配でならないわけです。ですから、それが、7月一杯になり、8月一杯になり、9月一杯になりということで、非常に翻弄されてあそこにいた方々は、仮設が出来る前に借り上げ住宅にみんな走ったわけです。
ま、そんな事で私たちは9月30日をもって県の通達が10月30日をもって福島県内外を避難所を閉じますというお話でございました。それに従って町の要望も9月30日に是非ここを出て下さい。
それから、県の方にもご連絡してということは私は、ええ、役所づと目をしたことはありませんので、行政をどのように自治会として聞きっていいかわかりませんので、福島県の総務部、市町村行政課、並びに対策本部の福島県の総務部市町村課、
並びに対策本部の震災センターの鈴木課長の所によく行ってご相談をして対応してきたつもりです。そのキーワードは、私が昔読んだ「銃と規律」という池田先生の本を基準にして、あのう、避難生活をやって参りました。
ホテルと共に、それから役場の職員もよく対応してくれました。しかし大変なことだったっす。なかなか連絡が取れない。未だかつて、そして 9月30日、我々800名は全部一人残らず避難所をでました。綺麗に出ました。ええ、その時に
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)01:58:35 ~
はい。いいですか?大体わかりましたので。だいたいお話は伺えましたか?
●双葉町民B氏 01:48:50 ~
いや!分かりません!これからです!!(野村委員:あっそうですか…)それで、いやちょっと待ってください。(双葉町民:まだ話したい人がいるんですよ!)いや、あります。話が長くなりますから端的にします。(双葉町民:”マイク話さない双葉町民Bに対するヤジ多数”)
今は、今日見えられた数のところは、未だかつてまだ、避難所になっております。これは特例だそうですね。この辺をひとつ皆様方がお持ちの、ええ、調査権、頂いた4ページ、私は資料を東京から送って頂きました。4ページの中にあります。一方、及び行政全般について、調査権を及びますということですから、我々は
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
わかりました。ご趣旨わかりましたので、
●双葉町民B氏
そういう事で!(野村委員:わかりました)国民として!!大切な事はね。平等に取り扱って頂きたい!(野村委員:ありがとうございます)と、いうことでございます。そのへん、調査権、よろしく一つ、お願い申し上げます!以上です!!
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
どうもありがとうございました。今はお話を伺って、ちょっと私、大変悲しいなと思ったことがあったんですけど、おそらくこの原発の事故が起こる前は、双葉町の皆さんはみんな仲良く暮らしてたんではないかと思うんですね。
そういう中で、やっぱり、この事故が起こってから避難の対応が分かれてしまって、そしてそれぞれに違った対応を強いられたことによって、お互いのことを違う意見をもつようになったり、相手のことを少し批判的な形でですね。(双葉町民:批判じゃないよ!)
あ、ごめんなさい。見るようになったりということが起こらざるを得なくなってしまったということも、この事故の一つの、被害の一つなのかなぁと今、感じました。
私どもは今回、騎西高校だけしか行けませんでしたけども、今、私達委員は、被災された方々全員の所に順番順番に回って歩いて周って皆さんの意見を聞くということをしておりますので、一方に偏った意見を拝聴している訳ではございません。
他の地域の方にも皆さん、同じようにチャンスを、お話を伺う機会というのを頂戴しながら進めていきたいと思っていますので、また、ご意見伺う機会はあると思いますので、またその節はよろしくお願い致します。ちょっと最初から手が上がっていた後ろの方の方。では、どうぞ。
●双葉町民?? 02:01:35 ~
どうもすいません。私はここに対しては部外者になるかもしれませんが、双葉町の方、私はここで発言しますけどよろしいですか?くわばらゆたか ともうします。はい。ありがとうございます。(野村委員:ここは双葉町のご発言ということになっていますので。今日はお控え頂けますか?)
私も、今、双葉町になってますから。前は浪江ですよ。今は双葉ですから。宜しくお願いします。ちょっとここで、いいんですよね。いいですね。(今、双葉というのはどういうことでございましょうか?)すいません。とんでもないこと言いまして申し訳ございません。
じゃあ、ちょと言わさせて頂きます。当初、事故の県からちょっと説明しますが、私は17日まで双葉町を巡回していました。その上で、先ず、気づいたのは放射線に関して皆さん走りませんから、恐ろしさも知りません。私も知ったのは停電関係で電波も通じない、そういった状態でした。
で、先ず私が1号機が爆発したということで、最初に言ったのは、ある新聞社に2号機から4号機まで天井開けなさいと。なぜかというと水素がたまると爆発する恐れがあります。それで、東電本社の方に記者がいるということでしたので、それを伝えてくださいと。
そして屋根を破ったら海水しかないんで、海水を注入する方式を取って頂きたいと。その旨をやったんですが、それが伝わっていたかどうかは確認取っておりません。で、3号機が爆発したときにはですね。なんせ、街の中がどれだけ汚染されているかわからなかったんです。
ですから、オフサイトセンターに行ってみたんです。そしたら電源喪失で測れないと。そういった現状でした。で、その時、3号機が爆発したときに、自衛隊の方は外で煙草を吸っていましたね。まだ、爆発する前じゃなかったんですけど。
ちょうど私が言ったときに爆発しました。で、1号機とはちょっと違う爆発だったなと。いうふうに見てました。その時に自衛隊の方々マスクもしてませんでしたので、これじゃまずいと。内部被曝起こしたら後で取り返しのつかないことになりますと。
そういったことでオフサイトセンターの中に入れと。そういったことで中にあったGM管とかあったんですが大熊町の3km県内から逃げてきたという男性がいました。で、入る前にちょっとまってくれと。
で、ちょっと外では図れる状態ではありませんでしたので、中にはいってサーベイメーターで測ったところ、もう超えてるんですね。計り切れないんです。あの時は30キロぐらいのレンジ、カウント数、CPMってやつです。それを超えてましたからダメですよと。
で、服を脱がせて、ちょうどダンボールに、いっぱいね。皆さんが管理区域に入るときに切るようなタイベックという白い服ですね。あれが箱にいっぱいあったんです。後、マスクも。それがあったんで、それに着替えさせてやりました。
で、自衛隊の方にはマスクをして歩いてくれと。そういった状態ですね。で、私も線量がわからなかったら怖いんで、弟のほうに、”あさかわさかえ” という弟がいます。どこに今いるんだと。川内だと。やばい、早く逃げろと。底のほうに風が吹いてるぞと。
私が伝えました。なんでわかったかというとですね。うちの息子は大変なもので。テレビをバッテリーを外してテレビを見てたんですね。今、あるんですね。アダプターと。一応それを見てですね。風の方向どっちだと。そしたらですね。
おまれ?地区から対馬地区の方に吹いてたんですね。3号機の時は一瞬海に吹いた感じだったんですけど、それが回っていたような感じですね。実際は。1号機が一番影響あったのかなと。あと、2号機も増えていたみたいですけど。
自分は家にいましたから。ずっと見てたんです。で、大柿ダムのダムが決壊しないように風というか、水抜きしてたんですね。その風がすごくて、それがおまる地区まで、そっちの方まで回ってました。それが現状です。んで、双葉町町長の一番偉いところはどこかというと、線量が上がってきたからヤバイと。
私がこちらの方に伝えたときに、酒井(横に座ってる人)そうだよな? 伝えましたね。埼玉に逃げてくれました!んで、浪江の方は逃げません。出来れば本当は遠くに逃げて欲しかったんですが、双葉町の町長の判断は、住民を一番考えている判断だと思ったんです。
私もそれを願っていたから!で、あるY新聞社の方にも言いました。50km県内にいる方は、バグフィルターをつけて体育館とかですね。そういったところにフィルータを通して空気の綺麗なものを通すようにしろと伝えてくれといったんだけどもダメでした。
わかりますよね。だから双葉町町長の考え方はすごいんですよ。本当に。尊敬に値すると言うか、皆さんに見習って欲しい。これだけ勉強して、これだけの冷静な判断ができて。いない。私は本当に尊敬します。それと情報公開。
実は県が配っているのか国が配っているのかわからないが、ストロンチウムというのがあります。まあ、皆さんご存知だと思いますが、骨にたまる性質のもの。これ、情報公開、大変ねぇ。必要なんですよ。正しくやってくれないと住民困るんです。
ストロンチウムの福島県内のやつが、ここに私が持っている資料は、これ、町村長に配られた資料ですが、最高で130とか、請戸の所で3070というのが一つありますかね?ところが文部科学省が報告しているのは、相馬とか、南相馬にしろ、1万超えているところはあるんです。
ところがそれが全然記載されてないんです!それを町村長に渡しているというのはどういうことだ!!皆さん怒りません?私起こってますよ!今日!こどもの安全を誰が考えてんの!!私は50過ぎてるからいいよ!後10年後、20年後、年金払わなくて済むでしょう。
だけど、今の5歳、10歳の子供が、10年後、20年後、病気したらどうするんだ!!!考えてみてみ!!!誰が面倒みる!!!! どっちが大事!!!!金と!!!!!経済と子供の命!!!どっちが大事だ!!!考えてみろ!!!!!我々の後を継いでくれる人間がいなかったら誰が継ぐの!!!思いません?!!!それを一番に考えているのは双葉の町長でしょう!!!!!!!それを誰が批判できる?!みんなのことできるわけ無いでしょう!!!!あの状態で!!
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:08:55 ~
あの、お気持ち大変良くわかったんですが、私どもも同じ考えでですね。皆さん方のご意見をきちっと反映させて、私たちは政府のものは一人もおりませんので。(双葉町民??:しょうですか。どうも、勘違いしておりました。)
私どもは政府の事故調査委員会とは違って、政府のものではないんです。むしろ、国民の代表として皆様方が選挙で選ばれた国会議員の方々から任命された、まさに皆さんの代表ですので。皆さんの声をなるべくきちっと聞いて、意見を色々分かれているところをきちっと聞き分けた上で、報告書にまとめていきたいと、そういう考えです。
今いただきました意見は大変重要な意見なので、(双葉町民??:ありがとうございます。)しっかりと埋め止めさせて頂きます。大変申し訳ないんですが、沢山の方になるべくご発言の機会をと思いますので、なるべく一人一人のご発言は短めにお願いできればと思います。
●双葉町民 かのう氏 02:10:00 ~
かのうと申します。あのうですね。先ほど今、質問があったと思うんですけど、復興とかいろいろな話がありますが、子供たちの手当が全然できていないんですよ。国から言われている、直ちに影響はありません。直ちに影響がないのに、
親がある程度の線量が出ているのに 3歳以下の子供たちは全然内部被ばく検査を何もやっていない。ましてや、親がそれなりの線量が出たときに、それに対して、専門家の先生がいますのであれですけど、子供の放射能への影響というのは大人の3倍~5倍と言われていますよね。
それに関しての国、県、全然対応していない。そこに対してはすごく遺憾に思います。ましてや内部被ばく検査で放射能が出ていくものですよね。いたずらされてから出ていかれて、その検査もしてない。ましてやこどもを持つ親が、これからそういう子供たちに何か影響が出てきたときに、
どういう方向性で やればいいという方向性が見えてくるような政策が全然取られていないという事が問題だと思うんですが、それに対して報告を上げる前に、中間報告で構わないので、国会の先生方に。制度は変えられるとも運ですよ。法律も変えられると思います。
大人が子供を守らないのであれば、誰がこどもを守るんですかと。日本の将来も県も地域も子供を守らなければ、復興なんつう言葉は全然ないんですよね。そういう事をちょっと、この委員会の方で取り纏めて頂いて、是非、子供たちの将来を守って頂きたいなと思います。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:11:50 ~
ありがとうございます。大変重要なご指摘だと思っております。我々の方にも放射能の専門家も居りますので、きちっと受け止めさせて頂ければと思います。すいません。長らくお待たせしました。ご発言のほど、よろしくお願い致します。
●双葉町民 C氏
ほとんど私の言うことをみなさん言って頂いて、言うことがないぐらいなんですけど。先ほどの崎山先生がお聞きしました東電は絶対に大丈夫だ。絶対爆発しない。私はそう思っていますと何十年もそのように聞いています。それで逃げるときも、まさかそんなことはない。
そのように思って逃げたんですけど、着の身着のままで。それでアリーナへ、今、騎西(埼玉)へと。私は一番頼りになるのは、双葉町長だと思っております。朝、会えばおはようございます。朝はいつも寒いのに表を掃いて綺麗にして、話は違うと思いますけど、私はみんな今までいおうとしてしまった事はみんな言われたので、こんな話ししかないんですけど。その様な事です。
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:13:15 ~
ありがとうございます。先ほどですね。崎山委員のほうからも町長にお尋ねしたんですが、本当に皆さん方がどういうふうに原発の事を聞いていて、どう理解して、どういう風にして暮らしてこられたのか問う事は、私たちの調査にとっても、とっても大事なポイントです。まさに今、住民の方から大丈夫だと信じておられたという言葉がありましたが、それとても重たいご発言だと思います。
ちょっとここら出ですね。委員も今まで皆さんのお話を聞きましたので、ご感想なり、町民の方々にご質問をして頂くような事がありましたら。これはタウンミーティングという事ですので、私たちの疑問点とか、あるいは、今、出て参りましたご意見に対する感想みたいなものを お話し出来ればと思いますが。どなたかご発言を。
●蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)02:14:10 ~
すいません。蜂須賀です。農業をしていらした方にお聞きしたいんですが、避難したときに警察の方から避難という声でした?その時に、その地震の時に原子力発電所はどうなっているのだろうという疑問は湧きましたでしょうか?
●野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
一番最初のご発言の方ですね。では宜しくお願いします。
●双葉町民A氏 02:14:40 ~
あのう、11日の夜は地区公民館でしたが、次の日の朝だと思います。その白い防護服を着た警察だったと思うんです。保安院の方ではないと思うので。とにかく、原子力発電所の状況が危険な状況になっているか定かではない、そんな内容でしたので、直ぐに川俣の方に避難して下さいと。
いうふうな事だったと思いますので、まさか、私たちは絶対安全、99.99%、多少の不安はありましたけども、そんな状況になるはずはないし、なっても直ぐにこれまでも、トラブルはない事はなかったんですが、ある程度、それは国も東電も対応してくれたので、
そんな、私たちが万が一住めなくなるというふうな事は考えられないので、直ぐに戻ってくれるだろうというような気持ちで、私の地域の周りは、道路が狭い県道ですけど、狭い道路でしたが、数珠つなぎで避難。私ら他は地元の多少の道路は知ってましたので、
裏道、近道を通って浪江を通って津島。津島から川俣へ。普通なら1時間もかからない所を4時間も掛かって、国道といったって、すれ違うのも厳しいような国道でしたから。重要な発電所があるにも関わらず、そのような整備もされない、本当にいざとなれば役に立たない道路を何とかという事でした。はい。
●蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)02:16:25 ~
そうしますと、地震の時には発電所がそういう事故になるという思いはなかったという事ですよね?地震で揺れているとき、公民館に避難している時に発電所がどうなっているんだろうという思いはなかったという事ですよね?
●双葉町民A氏
そうですね。まあ、私も地域の内の状況、道路の状況は亀裂が入り、電柱が倒れたということは目にしましたけれども、発電所が夢にも思いませんでしたから。これは夢のような話し。本当に。
●蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)
はい。わかりました。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
なんか今ですね。ご発言された時に、多くの方が肯いておられたんですよね。今のご発言に。みなさんそうなんですよね。やっぱり肯いておられるというので。で、蜂須賀さん自体はどうだったんですか?自身も大熊町のお住まいでしたけれども。
●蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)
私も大熊町ですけれども、今、農業されている方(双葉町民A)と同じく、思いませんでした。私も。実際の話です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ありがとうございます。では。ちょっと委員といいましたけど、また手が上がりましたので、では。真ん中の女性の方に発言頂ければと思います。
●双葉町民D氏
あのう、わたくしも原子力発電所から1.2、1.3kmの所にあるんですが、今、政府の方では耐用年数が40年とか、60年とか言ってますけど、私は40年で避難してきた経路とか、この苦しさとかストレスはみなさんと同じです。でも、いろんな原子力発電所に関して40年、60年、話していますよね。国会で。
あれは私は、40年にして欲しいんですね。なぜかといいいますと、それには原因があるんです。この5、6年前から、電線がね。風でぶれる音が毎日聞こえてたんですね。で、私は東電に言いました。なんでこんなに、音するのって。
それが夜も昼もでしたから。来ない時は来ないんですが、冬なんかは特に来るんですよね。どうしてなのでしょうかと東電さんに電話しました。そしたら大きなファンが回っていてそのことだと言うんです。どもそれにしても大きくなったり小さくなったり、ものすごいんですよね。
私は2回に洗濯物を朝星に行くんですけど、その時の音と言ったら、いや、これはなんだろうか、というぐらいの音だったんですね。それで、ですから、みなさん60年にしたいとか、40年にしたいとか色々ありますけど、是非40年でお願いしたいなと思っています。以上です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ありがとうございました。ではまた手が上がっていますので、奥のほうの方。こちら端のほうです。
●双葉町民D氏 02:19:45
あのう、家にたまたま非難する前に防災無線がついてまして、で、防災無線というのは乾電池と電源差し込みとで対応できるんですけど、たまたま家で使っているときには電源を差し込んでまして、乾電池が入ってなかったんです。それで地震の影響で停電になりまして防災無線が全然聞こえなかったんですけど。
たまたま非難するとき、隣の家が電池で無線を聞いていて、で、避難しろという話が出ているから、それで逃げたんですけど、今後は他の地域でも もしかして無線でやっているときは電源を元から取るんではなくて、乾電池対応でやるほうが、
何かの時には役に立つのではないかと思いまして今お話ししているんですが、どうしても停電になったときには使えないという時には、パニクりとか焦りが入って対応ができない場合が出てくると思うんで、電池で対応しているような無線を設置している方が、何かの災害の時には役に立つのではないかと。
無線は常に入ってきておりましたから、電源さえちゃんとしっかりしている無線だった場合には、対応できたと思うんですね。だからもし、仮に他でもそういう形で使えるんであれば、電池の対応という形のほうが、ほしいですかな、とおもいまして今の話をしております。
それとあの、うちたまたま、逃げるときに何も持たずに、犬だけを飼っておりまして犬を連れて逃げたんですね。それで、他に避難所に行くとペット満ちこみ禁止。で、たまたま、私も川俣の避難所で車の中でずっと犬を買ってたんですけど。埼玉に逃げるときにはまずに乗らなくてはならなかった。
それと車をおいてけという事でバスを用意してたんですけど、そのバスにはペット持ち込み禁止。それでアリーナの方もペット持ち込み禁止。どうしようかという時に、たまたま埼玉県に親戚がありましたから、親戚に逃げたんですけど、そこにもペット持ち込み禁止ですごく苦労しました。
だから、今後、災害用の避難所というところにも、各家庭でペットを飼っている方がいると思うので。多分家族と一緒だと思うんですよ。その時にはペットも持ってきてどこか、避難所の一箇所で買えるようなものを今後考えて頂ければすごく親切かなと思いまして、今お話ししております。以上です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ありがとうございます。どうしてもですね。危機管理体制とか、避難体制とかといいますと大きな事を色々議論をすることは出来ますが、今のお話というのは、実際に経験された事しか、方しか発言できないような、本当に身近に起こったことなんだと思うんですね。
そういうものまできちっとした対応策を講じていくことが、皆さん方のご経験から次にですね。つなげていく重要なポイントではないかと思って受け止めて参りました。それから先ほど、耐用年数のことについてのご発言もとても大事な、すごく大事な政策的なご発言だったわけですが、それと併せて東電に皆さんが直に不安で聞いても、ちゃんとした答えが帰ってこないという話がありましたですよね。
そういうのというのはやはり、原子力発電所の町に住む方であれば、もっときちっと発電所の方々に聞けばしっかりとした答えが帰ってくるような仕組みというものを作って置かなければならないのかなと思いました。無理なのかもしれませんが、またそういうあたりも少し考えさせて頂ければと思っています。
また手が上がりましたので、せっかくですからどうぞ。お願いします。
●双葉町民E氏 02:24:00 ~
私は東京電力の情報会議のメンバーとして、各市町村から選ばれて3期務めさせて頂きましたが、その中で高経年化のことが一番問題になっていました。その都度、そこには保安院の方が居りましたので、とにかく最初は第一の原発が30年という事でスタートしたわけなんですけども、それが40年過ぎました。そこで質問するたびに、保安院の方は部分部分の部品を交換するので大丈夫ですよと。
それで私たちは40年ぐらい安全安心の原子力発電所というインプットはされていました。後は原子力広報委員会の方では神奈川県の多度津の方で BWRの地震の体験もさせて頂きました。その時は震度5強の地震の体験でしたが、配管部分も見てくださいと。全然ぶれていませんねと。
またさらにインプットは強くなりまして、私はガソリンスタンドを経営していましたので、12日の朝にも皆さんがおっしゃるように、私は川俣に逃げろと言われたときに、恥ずかしながらガソリンが入ってなかったんですね。で、家のスタンドに行って入れようと思ったときに、双葉署のおまわりさんが防護服を着て家のスタンドに綱を張っていました。
ですから、東電からの指示はなかったんですが、警察の方が防護服を着て、どうして防護服着てるの?なんで原発が爆発するのっていまだに信じられないような40年のインプットは強いです。保安院の答えも絶対大丈夫、絶対安心ということで、
私も大手を振って私は東京のある会社の事故紹介を書いていたときに、この電気どこから着ているかわかりますかというふうに始まると、ええ、あなたは東電の回し者?と言われたこともありましたけれども、それぐらい自信を持って、生産地として40年は過ごしてきました。そんなとこでございます。ありがとうございます。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:26:15 ~
お話ありがとうございます。先ほどもお話ありましたけれども、皆さん方がこの40年間、ずっと長い間、安全だと信じて来たという事が強くわかりました。もう一度委員の方に戻しましょうか。何会員の方でご感想がりましたら。横山委員。どうぞ。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
発電所が爆発したことは、確かに大変な事だという危機を感じられたと思うんですが、放射能そのもの、放射線の汚染ですね。これは眼に見えないわけですから、どこにどれぐらいあるのかとう情報も線量計を持って毎日過ごしているわけではないですから。
非常に情報が得られにくく、どこが安全でどこが安全じゃないのか、判断に苦しまれたんじゃないのかと思うんですが、そのへんの実態はどんな感じだったか? 戻して頂けますか。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
では前の方どうぞ。
●双葉町民F氏 02:27:15 ~
わたしは今回の事故に際して避難して、それから10ヶ月以上経つ訳ですが、その中でつくづく思いますのは、国の情報公開のあり方ですか。それが全然、この原子力に関しては全くブラックというか、国民の生命、財産に関わるような安全情報を全然出してこない。
仮に出しても後出しで、仕方なく出すような、そういうような形で今までずっとやってきたと思います。例えば、SPEEDIの結果やメルトダウンにしてもそうですし、後、原子力災害対策の会議の議事録も取っていない。議事録の取っていない会議なんてはっきり言って私は考えられません。
そういう事を平気で言ってくると言うか、相変わらずそういう事で、国は私達に事故の矮小化と情報を秘匿する、隠蔽する。先ほどの方の意見、双葉郡の汚染ですね。そちらの情報をもう少し私たち住民に直結する問題ですからもっと公開して欲しい。
出さなくてはならない。自分らにとって都合の悪いことは出さない、そういったことがまかり通るのは民主主義とは言えません。はっきりって私はこの国のあり方と言うか、不信感でいっぱいです。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:28:45 ~
はい。ありがとうございます。今、まさに情報がないということでしたが、今横山医院の方からは放射線について、皆さん方はどういう理解をされていたのか、そういう事についての委員の方からの問い掛けだったんですけど、何か、そのことについてのご発言というのはありますでしょうか?では、手が上がりましたのでお願いします。
●双葉町民G氏 02:27:15 ~
その県なんですけど、我々双葉町は騎西高校にお世話になっている訳なんですけども、先ほど言ってましたとおりですね、我々は政府とか、そういう情報は一切信用してません。なぜかというとですね。我々双葉町はですね。原発がありまして、そこに雇用されている友達がいっぱいいるんですよ。
それで、つい最近もですね。携帯電話でですね。前よりもかなりやばいですよという電話を頂きました。それで自分たちはですね。やっぱり故郷なんで。一時帰宅で家は住めないですが、家を見たいんですよ。それで家に行けばね、なんとなくほっとするんですね。
ですから、それに対してですね。我々も情報開示とか、そういう問題ではなく、実際私たちは情報頂いてるんですよ。本当にやばいとか。最近だと4号機がまずいんじゃないかとか。それでもし、一時帰宅するんだったら短時間で子供たちは絶対に入れないでくれとか、そういう情報が我々個人的にもらえるんですよ。
ですから今更なんですよね。国が解除しなかったり、あやふやで何ミリ以上になったら住めますよと。だったらその人がね。ほんとうに安全なら住んでくださいと言うんですよ。1年も2年も住んで、それで安全ならば我々は住みますと。
でも実際問題帰れないですよね。30年経ったらですね。我々ここに10ヶ月いますけど住めば都なんですよ。30年も過ぎてどうぞ帰ってくださいと言われても、我々は年齢的に上なんで、いずれいないと思います。我々子供とか、子孫を残すとか、そういう事でしっかりと委員会の先生方にお願いしたいのは、開示をちゃんとして欲しいと。本当のことをね。言って欲しいというのがお願いなんですよ。宜しくお願いします。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:31:30 ~
ありがとうございました。横山委員、よろしいですか?では崎山委員の方から聞いて頂きましょう。
●崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )
学校に通ってらっしゃるお子さんはフィルムバッジとか、線量計をつけて学校へは通っていらっしゃるんですか?子供たちと言うか、乳児なんかも全然被曝は測っていないんですか?
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
うん。(会場大きくうなずく)みんなこうやってますから、代表してしっかり教えて下さい。
●双葉町民 かのう氏 02:32:10 ~
先程も言いましたけど、乳児、3歳未満、私電話して聞きました。現に対応を。なんでやらないんですかと。動くからできません。ホールボディーカウンターが。後、立つ方式のしかないからできません。こういう中途半端な回答でした。
寝る方のやつを頼んで頂ければ、子供は小さい子は子供なりにお昼寝の時間があるので、是非ともやってほしいということを言いました。そしたら、その答えは、「あっ、検討します。」「お返事もらえますか?」で返事ももらえません。
それと健康検査も何も、今、ホールボディーカウンターでさえ、終わっていない子供はいっぱいいるし、フィルムバッジも線量計とか持っている子供は今のところいないです。
●崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )
?検査もやってないんですか?
●双葉町民 かのう氏
やってません。
●崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )
どうもありがとうございました。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
今のはどこに言ったんですか?やってくれるようにとは。県に行っても全然相手にしてくれないと。お昼寝の時間だったらできるんじゃないかといっても、検討しますというふうに答えたのも県ですか?
●双葉町民 かのう氏
はい。そうですね。町にも呼びかけはしていますけど、実際にはそういうことはやっていません。さっきおっしゃいましたけど、崎山先生は尿検査ということで、先日、私は広島に行って、蒲田先生にお聞きしました。蒲田先生は飯舘の子に関しては何人かが持っているんですよ。県はそういうものに関しては一切やっていません。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
他に委員の中から何か質問あるでしょうか?では櫻井委員どうぞ。あ、どうぞ。横山委員ごめんなさい。いいですか?では横山さんどうぞ。
●横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)02:33:00
ちょっとSPEEDIの話をされましたけど、そういうものがあることを知ったのはいつ頃なんですか?で、それはみなさんには関係あったんでしょうか?
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
どなたかSPEEDIについてご発言ありますか?
●双葉町民 F氏 02:34:25 ~
新聞、及び、テレビの報道でSPEEDIの情報は私は知りました。かなり後ですね。要するにそういうのがあったんですが、そのSPEEDIの情報というのは最初ですね。米軍が第一。気象庁、要するに米軍に最初に提供したのに、各市町村、地上自治体、一番関係のある私達のところにはそういう情報を回してこない。
米軍に言われたらそこを出してそれだけで、国は全然後は知らぬ存ぜぬを決め込んだ。それで結局一番被曝しやすいような方角に我々は逃げてそこでもって被曝した。そういった状況ですね。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ありがとうございます。では、櫻井委員どうぞ。
●櫻井 正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)02:35:20 ~
委員の櫻井です。今のSPEEDIのことに関係あるような内容なことで1点、むしろ皆さんにお伺いしたいのは、総合防災訓練というのをやっておられて、最後、大きなものでは平成20年だったと思うんですが、特に原発の近くに住んでおられる方で、この訓練に参加された方はおられますでしょうか?
ありがとうございます。正直な所でその成果というのは、今回の事故との関係でどのように捉えられておられますか?手を降っているだけじゃ分からないので、出来ればご発言いただきたいんですが。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
じゃあそこのチェックの女性の方。大きく手を振っておられたので。では、ご発言して下さい。
●双葉町民 G 02:36:00 ~
防災訓練に関しては皆さんご理解あると思うんですが、先ず事故がありました。近くの集会所に来て下さい。で、町内の体育館に行きまして、私は3km県内なので近くの体育館であるとか、検査所に言って下さい。例えばほかであれば屋内退避をしてくださいという指示が出ます。
で、その検査する体育館であったりどこか、一箇所のところへ行ってサーベーを受けます。それで毛がありませんか、けが人いませんかという状態で行います。それでお疲れ様でしたです。今回の事故には全く役には立っていません。以上です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ありがとうございます。もう少し聞いたほうがいいですね。では、櫻井委員。
●櫻井 正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)02:37:00 ~
更に付け加えさせて頂いて。今ちょっとSPEEDIの関連があると申し上げましたが、実はいろんな資料を見ますと、この時にはSPEEDIは一応、あの、この時もその翌年も、その翌翌年も、まあ、これは場所は違って総合防災訓練やってんですが、一応使っていることは現在、公表されているんですが、当時は全くそういうSPEEDIということはご存じなかったですか?先ほどの方でも結構ですが。
むしろご存知のかたおられますか?訓練の時に少なくともSPEEDIがあるということを知っていた方はおられたら、あ、おひと方。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
それは何か事情があるんですか?
●双葉町民?? 02:37:50 ~
実はあのう、GE社からきているテクニカルインフォメーションレターとかですね。情報は私、アメリカからもらってですね。辞書片手に訳していたことがあります。その時に、あれは私が、7年前ですよ。そういった分析をして気象条件によって放射性物質がどこに拡散するのかと。
現在であれば太平洋沿岸はほとんど汚染区域とかね。そういったデータはもう7年前には知ってました。ただ、その前にもそういった話はあったんですけどね。それが正確であるかどうかというのを気象庁の方はできてなかったです。わかってました。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
今の話は原子力に感心がある方とか、そういうかたは専門的にご存知だったということですが、一般の住民で住んでいる方でSPEEDIというのは聞いたことも無いという事で良いわけですよね。先程も話しはありましたが、今回の時もSPEEDIの情報は全く知らされなかったということでいいんですよね。わかりました。
●櫻井 正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
ありがとうございました。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
では、大島委員どうぞ。
●大島 賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)02:38:55 ~
健康検査、必要になれば医療という事になる訳ですが、私はこういった分野の専門家では全くありません。崎山医院の法がご専門なんですが、今のところ、放射線に関する健康検査、場合によっては医療機関に行く、病院に行くといったような場合に、何らかの特別な措置が既に執られているのかどうか。
あるいは検討されているのかどうか。先週ですか、平野大臣が来られて佐藤知事にそういった特別な措置、無料の検査とか、無料の医療については福島県以外の全体的な保険料制度に対する影響が大きいから我慢して欲しいといった趣旨の事があった事を報道で見たんですが、現在その辺の実態はどうなっているのか?将来に向けての検討状況といった事について、どなたか教えて頂ければと思います。
●双葉町民 かのう氏 02:40:10 ~
あのう、まずもって、そういう医療機関を教えてませんよね。今、そういう医療機関は福島に一件あると聞いています。ですが殆どが長崎、広島。それで実際にこんな事言っちゃうと良いのか悪いのか分かんないですが、国会の大臣の先生方は僕たちから見れば自分たちの自己アピールなんですよ。
実際、僕たちの地域の子供達、ここにいる被ばくしたかも知れない方々が一杯いますよね。被ばくしたと思いますけどね。その中に、その人達を考えた事は何もしてないです。健康検査、本当に専門の先生でないと分らないと思いますよ。
内科の先生に今日足を怪我したから縫ってくれというような話になると思うんですよ。それだ経ったらそういった専門の病院とか、そういう所をちゃんと用意して頂きたい。ちゃんと公表して頂きたい。そういう事も全然やってないです。
実際に僕たちよく話す中では、僕たちの地域の人間は国のモルモットにされているのかな、という認識は、僕は個人的にあります。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
はい。ありがとうございます。続いてご発言、いいですか。では、どうぞ。
●双葉町民?? 02:41:35 ~
あのう、実はですね。あのう、先般、報告された甲状腺の検査、福島県立大学ですね。そちらのほうで検査結果が出ました。5対1、20対1以上の保養にするもの26人で0.7%。普通だったらこれ、再検査ですよね。崎山先生。前回、やられている21mSv以上の検査がそちらにも出てると思うんですが。
出てませんか?福島県の。あで?でてません?あ、私の方が早いんですか。ああ、すいません。あのう、これですね。A判定、B判定というのがあってですね。このうち、A判定の方でA1、A2というのがあるんですよ。2622人受けていてA2の方は1117人、29.7%。
で B判定が26人で0.7%。だけど、これで話を聞いたんですけど、A2とB判定の方々は再検査した方が良いのではないかという考えがあるんですよ。で、それをこないだ、誰でしたっけ?検査しないっていってた人いましたよね。なんかいってましたよね。
あの、今後、追従検査しないと言ったんですよ。で、実は福島県ばかりじゃなく宮城県でも、今、ありもり?かくたちょう?あちらも問題になっておりまして、私もこないだ説明に言ってきましたけど、あちらの方もやらないと、こういったもの検証されてるのに。そういったのが現状です。以上です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
はい。わかりました。では手が上がってますので。違う話題でも結構ですからどうぞ。
●双葉町民 伊藤氏 02:43:30 ~
私、双葉町の伊藤と申します。2つほど、検証員階に参考にして頂きたい事がちょっとございます。1つはですね。女川原子力発電所。双葉町の原子力発電所も波が高かったと聞いております。なぜ、ここの原子力発電所は被害に遭わなかったのかといいますと、今まで三陸津波。チリ地震、あの辺の牡鹿半島と言いますが、あの辺の部落は全て1代の内に2回流されてるんです。
今回流されてるので3度目です。その経験からあれは高台に作ったから、今度の事故は起きなかったと私なりに考えています。それでですね。あそこは町の浜に5つの部落がありますが、そこの体育館を避難所にしたそうです。そのぐらい安全だという確信があって作った発電所だと思います。
福島県は双葉の第一原発はどうでしょう。高い所に作ると経費がかさむから低い所につくって海水ポンプを上から直接引けばそれだけで相当コストも安くできるという、そういう考えがあったと私は当時、昔はそういう事をちょっと聞いて低い所で、双葉町は自身がないからこれは大丈夫だと言ったのが、たまたま、そういう形で作った発電所がこのような事故になったというふうに私なりに思っています。
どうか、検証委員のみなさん。その辺を1つ参考にして頂ければいいかと思います。もう一つはですね。話変わりますけども、私はちょっとエネルギー庁の方のコアメンバーに入っていろいろ勉強してました。蜂須賀さんも確かそのメンバーの一員で、
私なんかも一緒に日本海の方の発電所を視察した事がございますが、大熊町にある、皆さんご存知のオフサイトセンター、そこの講習も受けたです。その時に国からいろいろ保安院の方が来られておったんですが、そこの所長さんに私は質問したんですけど、
原発が何か起きた時には事故が起きた時には、このオフサイトセンターはどのぐらいの時間で稼働するんですかと聞いた時に、私は東京から来ますので、少なくともこのオフサイトセンターは事故が起きてから稼働するまでは8時間かかりますとそう言われました。
そして、私はなんて言ったかというと、原発事故が起きてから8時間かかるオフサイトセンターを稼働しても役に立たないんじゃないですかと。私は今でもそのことが心の中にいつでも残っています。そういう状況だったもんで、1つですね。
これから日本全国発電所が稼働するかと思うんですが、その辺も1つ参考にして頂ければ、事故防止になると思いますので参考までにお伝えします。以上です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
はい。ありがとうございます。あのう、何れもとても重要な点で、私も震災後、女川に行きましたが、女川の津波の被害はやはり相当のもので、もう家は殆ど流されていますし、大きな高いビルがまさに横転した形でした。さらに船が上にですね。乗っかっている。石巻の方ですけども、そんな状況の中で女川の原発だけは、しっかりしていた。底に皆さんが避難をされていたという。
そのことを聞いた時にですね。やっぱりどうしてこんなに違いが出てしまったのだろうかと言う事をやっぱり、疑問に思いました。で、多くの日本人の方々も、やっぱり対策の違いでこんなに結果に違いが出るのかという事を感じたんだろうなと思います。
今、ご指摘のあった点は、まさにその点だと思いますので。是非。先程オフサイトセンターの話し、他の方からも出てましたですよね。何でこれ役に立たないんだろうという。全く役に立たなかったというご指摘は悔やまれると仰っておられたのは、そのことを震災の前に指摘されていたのに、
改善されなかったという事がやはりあったんだなぁという事も伺って、やはり、是非、そういう事を教訓として次に伝えていかなければいけないなというふうに思いました。では他に何かどのような事でも。誰でも結構ですが。では。先に後ろの方の手が上がりましたんで。順番に。
●双葉町民 H氏 02:48:20 ~
これは是非とも調べて頂きたい事なんですけど、結局先程から話が出ていますが、絶対安全という言葉ですよね。これって何を根拠にしてきたのかという事が未だに分らない訳ですよね。多分、日本国民、もう40年以上前の話ですからね。原発始めて。全然分らないと思うんですけど。
原発始めたのは中曽根首相の時だったと思うんですが、いろいろな話しがありますよね。こういう人がニュースとかで見た話しだと、読売新聞の元社長が政治的な絡みで中曽根首相と頑張ってそういう妄信的なものを作り上げたとかという。
いざ、こういう事故が起きて、結局、保安院の方達もその盲信にすがっていたと思うんですけど、これ、結局起こってしまった事は戻せないので、だから、今日みたいに委員会が設置されて私たちの話を聞かれている訳ですが、是非ともこれは調査して、後世に伝えていって頂きたいのは、結局、なぜそういう盲信が生まれたか、という事を徹底して調査して頂きたいという事で、是非とも調べて頂いて後世に残して頂きたいと思います。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:50:00 ~
ありがとうございます。今日もですね。委員会の中でも発言のありました絶対安全というのは科学では本来あり得ない事が、なぜかそれが社会の中では、みんなが信じる事になってしまったというのは不思議な事だという発言があったと思います。
まさにそこがどうしてそうなったのかという事は、私たちの方で解明出来るだけ頑張って解明したいというふうに思います。ちょっとごめんなさい。先に上がってましたので。ではどうぞ。
●双葉町民 I氏 02:50:35 ~
はい。双葉の住民でございます。先程、何でも結構ですという事で、一言発言させて頂きます。本来、今日のあれは事故調査委員会という事で、私の話とかみ合わないというか、私はその次の話なんだと思いますが、今日、大方の方は、事故の事に大変関心を持っています。
どうだったんだ、こうだったんだと。それは私もそうです。避難道路も双葉町としても16年前から県に対して中通りに高規格道路は絶対安全だら、という要望が駄目だったんです。そういう要望は町としても議会としてもしてました。
それで、今日は、大多数の方が確かに事故がどうなってこうなった、これも関心はあります。それよりも一番関心があるのは、皆さん発言はされてませんけれども、今後、我々はどうなっていくんだと。我々の生活は。それで、内の議会もいろいろな事は町民の話は聞きました。
それで、双葉町は高齢化が進んでおります。7,000人の人口で70歳以上の方が1,700人ぐらいいるんです。それで我々は自分の家にいて畳の上では旅立っていけないのか、という方が大勢います。先が見えません。若い世代も企業やってる人間も、盛んに企業だ、次のステップ踏み出せ。
補償問題、その他が解決しない限り、次にステップ踏み出す事が出来ません。その意味では、今日、会議をもたれた先生方は事故調査委委員ですから、復興委員会ではありませんので、この話はずれますけども、皆さん口に出さないけども関心を持っているのは今後どうなるんだと。
補償問題。それが一番だと私は思っています。何かの機会がありましたら、政府の方にそういう事ありましたら、そういう人間がいたという事も強く言って頂きたいとお思います。以上です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)02:52:40 ~
拍手が出ています。やはり皆さんの気持ちは、自分たちの仕事と少しずれている所があるので、受け止めて改善に繋げる力があるか分りませんが、仰るとおりで、例えば仕事を求められるにしても、ここの場所で放棄の雇用にという事になると、将来どうなるんだと思うんですね。
普通に考えてそういう事になると思うんです。だったら、短期の雇用でつないでいく事になるんだろうかと。たった1つの事を決める事についても将来の事のことが見えなければ決められないというのは、同じ人間として普通に暮らしている人間から見ても、
きっとそうなんだろうなと想像できるところですので、ちょっと私たちの仕事から外れますけども、お気持ちはしっかりと受け止めさせて頂きたいと思います。先程、もう一回手が上がりました。どうぞ、ご発言下さい。
●双葉町民 F氏 02:53:35 ~
先程、どうして原子力の安全神話が生まれたのかという事で、それを追求して欲しいという事ですが、これ、最初の導入の段階では必ずしも安全ということが言われていた訳ではないんですよね。そうでない人は最初の段階、導入する前は結構そういう方はおりました。
ただ、居りましたがその方達の意見が通らなかったというか、私たちが住んでいる双葉町というか、そこは東京電力というのは、きっと企業城下町みたいな所ですね。そういった所もありまして、そういった者の意見というものは黙殺される。
そういった事を言ったら要するににらまれるという、そういう所があるので、結局、誰もそういう声を上げる、そういう事はしませんでした。他の事に関してもそうだと思います。結局、なんていうんですか。超巨大企業が大きなお金をばらまいて色んな財界や学会、その他全部マスコミも含めてです。全部そういう所を丸め込んだ、というと言葉は悪いですが、これからそういう所を検証して頂きたいと思います。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ありがとうございました。では手が上がっていますのでどうぞ。
●双葉町 佐々木議長 02:55:05 ~
佐々木と申します。先程から皆さんからいろいろと出ていますので、リンクする所はありますが。やはり、これから事故調査委員会にお願いしたい点。今、全国に原子力が設置してあります。その中でこれまでも皆さんから話しありましたように、オフサイトセンターの機能というものが、今現実にきちっと出来ているのか?それはもう早急に、これは対処しないといけない。
という事は、皆さんからも出たように、やはりSPEEDIの情報が遅いために浪江地区の二本松の砂利が、二本松に持ってって、やはり、そういった汚染された建物を造ってしまったと。そういう事がやはり今になってきて、結構出てますよね。
情報さえしっかりしていれば、オフサイトセンターの情報がしっかりしてれば、皆さんから言われていたように避難する方向、そういったものも今になってから、やはり放射線の線量がどうのこうのと心配になってきた。そういったものはものすごく貴重になってきている。それで全国にありますから。是非、事故調査委員会の皆さんもそういった点を早急に対処すべくものは対処指定欲しい。
もう一点お願いしたいんですが、やはり原子力発電所は国策としてやってきましたよね。全国、立地町のサミットもありました。これまで。私も何回かサミットにでましたが、その中で必ず文部科学省も絡んでました。そうですよね。その中でやはり、子供達に原子力の安全性をしっかりとお話しされてきました。
そして原子力教室を小学校の家庭の中でやってきた。今、子供達が裏切られたんです。原子力は安全であると言う言葉が。やはりそういった子供達、これからの子供達に対して、そういった事を指摘しながら、安全をきっちり指導してきたなら、先生方にも教科書なんかに取り入れたらどうかとか、色んな話しがありました。サミットの中で。
でも 裏切った子供達に対して、文科省から何の説明もない。ありますか?わたしは聞いてないです。全然。報道についてもやはり、そういった事についも文科省はきちっとした対応を子供達に責任を持って対処するように、是非、事故調査委員会からもお願いしたい。
もう一点良いですか?(野村委員:どうぞ。)もう一点はこの事故は起きてしまったんですが、東京電力さん、事業所ですよね。しかしながら、この除線の問題、警戒区域の問題、いま出ました中間貯蔵施設の問題、これは国が明記されております。
ところが、やはり今、私達が一番残念なのは、まあ私かもしれませんが、東京電力事業所、事故を起こした場所、その事業所は町民に対して復旧、復興に対しての話がなんにもない。ただ賠償の話に夢中になっている。そうですよね。
ですから、事故を起こした当の事業者が、我々が耐えれるのか耐えれないのか別にしても、そういったものに対してどういうふうに捉えているのか?要するに向こうは加害者と。被害者に対してどういうふうに考えているのか。お金で済ませようとしているのか。
やはり、きちっと謝罪をするべき。それもない。新しい社長になってから何回言っても来ません。やはりそういったことも、事故を起こしておきながら、なんの対処もしない事業所の対応というのは、私はものすごく憤りを感じるんですよね。
やはり、町民の皆さんに頭下げるのはいいんですけども、それ以外に今現在、この汚染された瓦礫がどのような状態で今、原発の敷地に今、置いてあるのか。そこから再度、風によって放射性物質が、やはり私たちの住んでいる町に流れていないのか?そういった警鐘をされているのか、そういった報告もない。
ですから、それについても、調査委員会の方で、畑違いといわれれば別ですけど、そういったこともできるんであれば、きっちりと事業所に対して調査して頂いて、それをやはり私達に教えて頂きたい。そういうふうに思いますので。ちょっと3点ほど、長かったですが宜しくお願いします。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)03:00:00 ~
ありがとうございます。ちょっと私の先ほどの応対が不正確だったのかもしれません。私どもは例えば、中間貯蔵施設をここに作るべきだということを低減する委員会ではありませんので、そういう事を皆さんと誤議論することは難しいわけですが、
ただ、そのことについて判断する材料を国はちゃんと提供すべきだとか、あるいは今の話がありましたが、東電はどういうふうに考えているのかと言うことはちゃんと言うべきだという事や、あるいは、被災が続いている訳ですから、その被災の状況に対して、
例えば、検査をきちっと受けられるようにしていくべきだとか、こういう事は私たちの提言する事の出来るテーマかと思いますので、受け止めさせて頂いて「中身のA案B案どちらが良いですか?」という事は、なかなか、私たちの所では言えないかも知れませんが、対応の仕方としてきちっと今のご発言を受け止めさせて頂ければというふうに思います。
ではちょっと、またここで、すいません。3時のお約束なんですが、もうちょっと時間を頂いてもいいですか?委員の方の感想も述べさせて頂ければというふうに思いますので。では、もう一度委員の方に戻しますが、誰か、どなたか、ご発言とかありますか?何かありませんか?委員長は何か一言ありますか?
●黒川清委員長
特にコメントありませんけど、非常に、こちらも議論している所ですけど、やはり皆さんの話を聞くのは非常に良い事だなぁと感じている所です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
どうでしょう。では。どうぞ。
●双葉町民 あまの氏 03:01:40 ~
あまのともうします。黒川委員長にお尋ねを申し上げます。ご挨拶の冊子の中でキーワードは、国民、将来、
世界と、こうありますが、世界について少し砕いてお話しを頂きたいと思います。宜しくお願いします。
●黒川清委員長
実は、これ、突然ですね。みんな任命を受ける時に、国会で1人3分ずつなんか言えという事で、ちょっと私もシナリオは分ってなかったんですが、私はその時、その冊子に書いてあるように、キーワードは国と未来と世界だと言うつもりだと、その3つの事について説明したんですけど、憲政史上初とは一体どういう意味だろうかと。
それだけ世界に影響ある事ですよね。これから原発を増やそうとなれば、多分事故の起こる確率は増えるかも知れないし、その時に日本という科学技術の先進国が、最初からデータを公開しながらこういう事は二度と起こらないようにしようよと言うメッセージを伝えるべきだという事が「世界」なんですが、そういう意味では国会事故調の意味はですね。
皆さんが選んだ国会議員が初めて独立した民間人による調査をやるということ自身がですね。世界は、実は見ている事なんですよね。
どうやってこの落ちてきた信用を取り戻すという事は、こういう事をしない限り、世界は信用しないだろうという状況になっているので、私はそういう意味で国民の、国民による、国民のための調査会だなと、いう事を言わせて頂いたという事です。
それから2番目には「未来」というのは過去を遡ってみてで現在という事から言えば、日本の将来にこれをどうやって生かしていくか、そのためにはどういう対策をするのか、そういう事の政策の骨子にしたいという事であります。
3番目の「世界」は先程 言ったような、世界中が関心を持っている訳ですから、日本が今のような世の中出ですね。データをどんどん透明性を持って世界と共有しながら、世界の英知をその場にどんどん入れ込みながらですね。
より良い、もし原子力をエネルギーで使うのであれば、どういう構造があり、どういう危機管理の方法があり、どのような体制が必要だという事を世界の知恵をここにどんどん呼び込んでもらおうじゃないのと言う意味で言った訳でありまして、そういうのも、何も上から目線ではなくてですね。
やはり実際に、その被害にあった現場の方々の感じとかですね。どういう事が、まあ、やっぱり、失敗とか、こういう話しは、どうやって将来のために生かすかという事が一番大事で、これが世界を今のような状況だと、日本が何をしているのかという事をみんな見てますから、そういう観点から、この委員と共有しながら最後の骨子の骨格をまとめていきたいと言うつもりで申し上げたという事であります。
そういう事で皆さんいろいろなご意見あるんだけど、こんな実体験をされている方はそれほど多い訳ではないので、本当になんと申し上げたら委員だろうか、それぞれの立場が一つ一つ、やっぱりそれぞれの委員の心にも刺さるし、一番最初、この委員を拝命した次の週の日曜日と月曜日とですね。
福島原発の周りを委員全員で行ってですね。そういう感じをお話しすると、隣の蜂須賀さんの家の周りもずっと通ってきたんですけど、本当にちょっと前まで人が生活した所に、全く人の気配がしないというのは不思議な感覚をそれぞれ持ったんじゃないかなと思います。
そういう事をしながらどうやってこれをまとめていくか、どうやってこれを意味のあるものにしていくかという事を考えたいという事でございます。本当にありがとうございます。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
どうもありがとうございます。では、石橋委員どうぞ。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授) 03:05:40 ~
委員の石橋です。皆様の一番のご関心がこれからどうなるのか、帰れるのか、子供達の将来の事、被爆の事、そういう事である事は、もう十分、ここへ来る前から多分そうだろうなという事はよく分っております。ですが、一応、ですから皆様のご関心から随分離れてしまうんですが、一応、事故調査委員会の原点という事で、せっかくお集まり頂いたので伺いたいんですが、この国会の事故調査委員会はですね。
政府の事故調査検証委員会とか、あるいは東京電力の委員会とは違って、一切先入観を持たずにとにかく自身、津波でそもそも何が起こったのか、真相をきっちり究明していこうと思っていますので、一番の出発点の事を伺いたいんですが。
要するに3月11日 14時46分、超巨大地震が起こって、先ず激しい揺れが来た。その揺れの記憶がかなり詳しい所までまだ残っている方がおられたら伺いたいんですが、地震の揺れの具体的な状況ですね。例えば最初はそれほど強くなかったとか、
長く続いてとか、激しい揺れが何回来たとか、トータルの時間がどのくらいと感じたか、何分ぐらいと感じたかなど、その辺当たりの事をまだご記憶の方がいらっしゃったら、伺わせて頂きたいんですけど。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
では後ろの方、どうぞ。
●双葉町民 J氏 03:07:35 ~
地震の時からのお話しをお聞かせ欲しいという事でありますんで。はい。3月11日はですね。確かに揺れは大きかったです。私は蒔田地区にいるんですけど、裏にちょうど稲荷神社がありまして、この神社の裏に大きな県の天然記念物になっている大杉があるんです。
で、今までの地震ではですね。こんなに揺れた大杉は見た事がなかった。今回の地震では非常に大きく揺れた。つまり、高さが20何m、幹周りが10何人ぐらいあるんですけど、その木がですよ。その木の枝が2~3mまで西、東に揺れるんです。
これは今までの経験ではこれまでそんなに揺れたのは見た事はございません。それが何回か、3回ぐらいありましたですかね。そんな状況で、非常にこれは大きいなという事で家内は内の中にいぬと一緒にいた訳なんですが、この地震では家の中にいるな、出て来い!という事で表に出した訳なんですが、その間で既に経ってはいられなかった。
もうとにかく、膝付くか、お座りするか、どっちかですね。とにかくそれだけ大きい。大杉がですね。西東に3mも4mもゆれる。その状況が本来ならば、今はビデオを持っていますが、その当時、ビデオがございませんで。もしビデオで撮っていたら、
みなさんは、おそらくこんなに大きな地震だったのかとお分かりになると思います。たまたま、こちらに来てからこういう会議の模様を撮ろうと思って買ったわけですが、今日、ある意味、写真撮影は禁止と書いてあるもんですから、わざわざ撮ろうと思って持ってきたのに撮れない。
そのうち、メディアから取ったものを全部もらおうかなと思って、私の撮ったものもメディアに出しますんで、まぁそんな事でもらうかと思ってるんですけど、ただ、やっぱりね。今回の地震だけは先ず大変だった。そういう自身の中で道路は寸断される、そして車はもう通れない。
常磐線の鉄橋は落ちる、288号線は無理無理通したけど、後で警察が来てストップかけて元の旧道を通すようになりました。しかし、下水道が工事やった後にたまたまそこが、やわいもんですから、道路の両壁が崩壊して通れなくなった。
その後で、じゃあ、ここに砂利を持ってきて(??)でもいいから通そうか、というふうな形で申しました。それが夜の8時、9時頃までかかりました。
寒いなか。翌日ですね。そのまま夜は過ごしたんですが、そのまま翌日は7時30分頃、みなさん、避難命令出たと言ってたようですが、7時30分に避難命令が防災無線で出まして、そのまま川俣の方へ避難して下さいということで川俣の方へ避難しました。
それで危ないという情報がありました。川俣でここでは情報が入って私の所に入ったもんですから、もっと遠くへ行けと。2回目は福島へ逃げました。ここでもだめ。で、今度はしょうがないから何処だって事になって、今度は会津に逃げました。
会津で一晩止まって、そこからここも危ないなという情報が入りまして、高速バスで新潟に行きました。新潟から今度は新幹線。新幹線は東北は通ってませんが、新潟から新幹線で東京に逃げました。で東京で約10何日間過ごして、今の騎西高校に入ったわけですが、先ず、皆さんはありだけど大木がね。これほど揺れたのは見たことないと思います。私もびっくりしましたんで。状況はこんなとこです。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
はい。ありがとうございました。(双葉町民 J氏:趣旨が全然違ったみたいですね。)全然大丈夫ですよ。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授)
ありがとうございました。他の方で激しい揺れを何回感じたとか、トータル何分ぐらい感じたとか。
●双葉町民 K氏 03:13:00 ~
私は家におりましたけども、自分の部屋に、たいへんゆれだな、どれででよどおも。そどにでだらば、うぢのかあちゃん、いっしょに出てきたわけ。波の高さってこのふにあります。いずめたぐらい。道路から波打ってくる。立っていられない。這っている。
這わせて、ほしたらたただいっていう。そしたら腰が圧迫腰で一ヶ月かかりました。腰打って。んで今度は、この、あの、ダメだというわけで入院する、入院させられない。一杯で。そして、あのう、苦労したんだども、なんせ、あんなもんの波と、このぐらいの高さの波というのは皆さん見たことないんだろども、立ってらんないから這ってました。
●石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授)
地面が波打ったとうことですか?(双葉町民 K氏:地面がこうるくなみうっだ)あ、はい。ありがとございます。(双葉町民 K氏:たってられね)すいません。なんでこんなことを伺っているかというと、肝心要の地震系がかなりの数の地震計が途中で記録が中断しているという事情がありまして、そういう事で体験談を伺いたいと思ったわけです。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
はい。地震に関してどうぞ。
●双葉町民 L氏 03:14:35 ~
私はその時、原発で働いていたもんですから制御室におりました。第2原発の1号機の3階。高さとしては海抜18mぐらいかな。(石橋委員:中層におられた?)そうです。そこで激しい揺れというか周期は短かったです。細かい周期で揺れの時間は連続で結構長かったです。
3~4分、感覚ですからはっきりしたことはわかりませんが、強度としては変わらないと言うか、いつまで立っても終わらないような、小刻みな揺れが激しい揺れでした。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
今の印象でいいですか?何か頷いている人が多かったようですけど。今みたいな感じだったですか?あ、ちょっと待ってください。女性の方、いいですか?
●双葉町民 G氏 03:15:40 ~
私はちょっと距離が離れてしまうんですけど、地震発生当時、南相馬市の6号線上にいました。ちょうど交差点に止まるか止まらないかの時点で地震に気づきました。いつもよりちょっと大きな地震だなと始めは思いました。で、結構大きいなと次に思った。最初の一回目の地震に。
そのぐらいから道路は完全にまっすぐ見えるところは波打ってました。一旦、治まってきたんです。あ、終わりかなと思ったときに、前で地震のために止まっていたコンクリートミキサー車が走りだして進んでいました。で、見えなくなったぐらいになった時に、もう一度大きな揺れが来て、
その後は車の中でしたので、車ごとトランポリンの中にいるような感覚で、シートベルトをして必死にハンドルを掴んでいても、乗用車の天井に頭をぶつけるんじゃないかというぐらいの揺れで、目の前にいたのが商用車に載っていた女性のかたなんですが、もう完全に天井を頭をぶつけているぐらい。
私も揺れていて分からないんですけど、車に乗っている間隔と前に乗っている車の感じから印象に残っているのは、車ごと地面から跳ね上がっているんじゃないかなと思えるぐらいの揺れをそれこそ、間隔なので何分というのは分からないんですが、いつまでこれが続くんだろうというぐらい長い時間が続きました。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
いいですか?もう人片手が上がっていますので確認させて下さい。
●双葉町民 M氏 03:15:40 ~
私は当時自宅にいたんですけど、自身が起きた瞬間に戸を開けて外に飛び出しましたら、高度雙葉高等学校のソフトボールのバックネットのあるすぐ傍で10mぐらいの場所に、私も飛び出しんたんですけど。その時、女の女子高生が8名ほどおりましたですけど、
最初はキャーといって四つん這いになっていたんですが、私は車庫の柱に捕まっていたんですけど、それを見たときに、四つん這いになっているときはまだ良かったんですけど、それが1,2分続いたと思います。その後、またですね。
大きな津波が来て、その時はもう女子高生が四つん這いになっていられなくなって、今度は座り込んだ状態です。先ほど仰った方もいましたが、地面がですね。波を打つような、ぼっこんぼっこん、次から次に波を打つような。それがね、私は外で見てたんですけど、左のほうから波と正面からの波と、それと右の方向からの波と3つに分かれてきたような状況を感じたです。
それでですね。私は地震というのは大体一方方向から波が来るのかなと今まで思っていたんですけど、とんでもない。左、前、右の方向から地震が来たんで、私も車庫の柱に捕まってたんですけど、私の車がぽっこんぽっこんぼっこんぼっこん、車庫から車が半分以上飛び出したと思います。その揺れのぽっこんぽっこんというのは、やっぱり2、3分続いたかなと。トータル4分ぐらいの感じたと、そういう事です。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
どうもありがとうございます。詳しくお話頂きまして大変参考なりました。それぞれの方にそれぞれの被災の状況があってちょっともい出すようなことも辛いようなことをお尋ねしましたけども、私達の調査で是非それを生かさせて頂きたいと思いますので。ありがとうございました。他にいかがでしょうか。時間が過ぎております。田中委員。どうぞ。
●田中耕一 委員(化学者 株式会社島津製作所フェロー)03:20:00 ~
すいません。一言だけ。皆さん、これはすでに報道されていることも含めて、多分気にされていることは先ほどおっしゃられた、お子さん、あるいはお孫さんの健康だと思うんですが、みなさんご自身の、なにか健康不安というのを、あまり声が聞こえなかったもので。
別に不安を煽るわけではありません。この委員会自身は事故の究明だけでなく、未来へ向けた提言ということも含んでおります。
国、あるいは国民、あるいは日本ができることは、やはり、限られているとお思いますが、皆さんが不安に思われていることが何か、それと全く外れたことをやってしまうと、これはちゃんとした提言になりませんので、まあ、具体的には、そうですね。
これを機会に申し上げるんですが、先ほど絶対安全とは言えないと。科学技術が完全ではないのに不完全だということはある意味、今となって言えば言えることなんですが、不完全だからこそ、まだ、いろいろこれから伸びてできることがある筈であり、日本だけでなく世界の方々。
特にお医者さんが一生懸命研究されてますから、そうったときに私たちこういうことが不安だということを、実際に何かこれまでで、広島、長崎だけなのか、他にあるかもしれませんが、そういった所で不安に思われていることにより良く声を伺うことによって、より適切な低減ができると思いますので。
もう時間が無いので今すぐお伺いすることはできないかもしれなせんが、私は直接お受けすることはできないんですが、委員会に仰って頂ければいいのかなと思います。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)
今、町長さんから手が上がっていますので、町長に皆さんの気持ちを代表してご発言いただくのがいいかと思います。
●井戸川克隆 参考人(福島県双葉町長 )03:22:10 ~
はい。全く不安だらけでございます。一つはですね。これから地域の見直しということが言われております。20mSv/y 以内、以上、50mSv/y とか、この3つの地域に双葉郡は今、別れるということでありますが、私は非常に無謀なことを政府は強いるなと思っております。
20mSv/y 以下であれば住めるということを原子力安全委員会が判断したということでありますが、通常、一般生活においての生活のレベルというのは1mSv/y 超えないことが言われておりますので、どうしてこういうことが言えるんだろうかということですね。
双葉郡民を国民と思ってない。まさに思っていない線引きだと思うんですね。なぜ、20mSv/y なのかということ。一般的に 20mSv/y 、50mSv/y というのは作業環境上の問題であって、生活をしている、普通に24時間そこで生活をする人に対しての言葉ではないと思ってですね。
どうも、このレベルが非常に無責任だと私は思っていますね。それから100mSv/y も大丈夫みたいな事をいう学者もおりますけども、じゃあ、100mSv/y でいいという立証を迫っております。報告を求めておりますが報告は来ておりません。安全だということの報告を求めています。
それから県内で100mSv/y を超えた人はいませんと当初は言いました。しかし、これもですね。本当に何を調べて、その結果はいなかったのかという実数字を報告して頂きたいと求めております。ここはですね、一日も早く帰りたいという郡民の皆さんの思いは、これは分かるんですけど、
その思いと政府が20mSv/y という線引きがですね、思いだけの問題だけで片付けられたんじゃあ、将来に禍根をのすような結果になってしまうということで非常に心配をしております。
なかなか、私は1mSv/y と言い切ってるんですが、これが郡内の首長さんの中にもですね。なかなか理解をして頂けません。もう帰るんだと。何でもかんでも帰るんだという方も結構いますのでね。どうも意見があわなくて困っているところです。
基本はやはり、先ほど意見もありましたけども、子供たちですね。子供たちの健康は親が守ってあげなければなりません。
親がたとえ安全であっても、それ以上に安全を求めた数値の中でよくよく身長にやるべきだというふうに思っています。どうぞ、この辺も何とか出来るものであれば、1mSv/y とに戻して頂けないだろうかということをお願いしたいと思います。
●野村 修也 委員(中央大学法科大学院教授)03:25:42 ~
はい。本当にありがとうございました。町民の皆さんを代表して町長からお言葉をいただきました。ただ、お言葉の中にもありましたけど、町民の中にも違った意見の方もいるということは、もう当たり前の事なんだろうなと思います。
本当にご苦労している事もよく分っていますので、是非、皆さん方がみんなで、こういう意見があってですね。次のステップに進んで行かれるように、なって頂きたいなと思います。では、ちょっとだいぶ時間を超過してしまいましたので、大変貴重な意見交換の場ではありましたが、そろそろ閉じさせて頂きたいなというふうに思います。
私個人としては、どんな意見が皆さんから出るんだろうというふうに思ってちょっとハラハラどきどきしながら今日来たんですけど、皆さん方、本当はもっと別なことについて言いたい事は沢山あるという事を ひしひしと感じてはいたんですが、私達の検証に合わせてご発言を頂きまして、大変有り難かったなというふうに思います。
それ以外の事でも沢山の言いたい事があれば、また、冒頭委員会でもご紹介しましたが、ホームページなどでも意見を集める場所を設けてありますので、どうぞいろんな形でご意見をお寄せ頂ければというふうに思います。
それから、今回は双葉町にこうやって、埼玉に避難されてこられた方とのタウンミーティングという形になってしまいましたが、この原発事故で被災されている方は物凄い沢山おられるわけで、いろんな所におられますので、私どもは平等に皆さんの意見を聞いて、意見に反映させて頂きたいと思っておりますので、その点もまた、ご理解頂ければと思います。
それでは、私のつたない司会でしたが、タウンミーティングは終わりにさせて頂きます。それでは委員長の方に戻したいと思います。どうもありがとうございました。
●黒川清委員長 03:27:40 ~
それでは本当に今日は、皆さん、ここに私ども、なんと言っていいかわかりません。本当に町長さんとも1時間ぐらい意見交換させて頂きまして、皆様とこの時間を本当ん活発な意見交換が出来たと思いますので、本当にありがとうございました。
私ども、委員とですね。皆さんが本日、私達に寄せてくださった声、お気持ちを真摯に受け止めて調査活動を更に行って行きたいと思います。
私ども一生懸命やっていますが、本当に課題はたくさんある。山積している。これからどういうふうにして行こうかという話を真摯に考えて、なんとか提言をまとめて行きたいと思っております。本当にありがとうございました。
○司会
それではこれで、タウンミーティングを終了させて頂きます。本日は委員会からタウンミーティングにかけまして長時間にわたってお疲れ様でした。先ずですね。お知らせですが、今日、ご意見、まだ言い足りなかった点、あるいはご発言されなかった方もいらっしゃるかと思いますので、お手元のアンケート用紙、あるいはですね。
先ほど来、申し上げてますように、ホームページの方にですね。ご意見を伺う窓口が設けてございますので。あるいはファックスで送っていただいても結構ですので、是非お寄せ頂ければと思います。それから胸に付けて頂いていますリボンですが、これはですね、出口の方でですね。回収させて頂きますので、外して係りの者にお渡し頂きますようにお願いします。
それから、旧騎西高校からお越しになった方につきましてはですね。皆さんまた元の騎西高校の方にお送り致します。えっと時間ですが、これから15分後、3時45分にですね。ついた場所、前の駐車場のところから出発をしますので宜しくお願いします。
ただ、帰りはですね。人数を見させていただくと1回だけで大丈夫だと思っておりますので、1回だけ3時45分に出発致します。来る時にバスでお越しになった方が対象になりますのでよろしくお願い致します。それから報道の方に尽きましては記者会見はですね。20分後の3時50分からとさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。
大変お疲れ様でございました。これで終わりたいと思います。
※ タウンミーティング通して2名の委員が発言していない?タウンミーティングで発現された双葉町の方は町長、議長2名含めて16名。