2012年3月8日木曜日

第4回 国会事故調 ~ 参考人 前経産省 保安院長 寺坂信昭 平成24年2月15日

第4回 国会事故調 (寺坂信昭)
平成24年2月15日 1時30分~

http://www.naiic.jp/  配布資料 http://www.naiic.jp/about/#
  • 黒川清(委員長)
  • 横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
  • 石橋克彦 委員(神戸大学名誉教授)
  • 田中耕一 委員(化学者 株式会社島津製作所フェロー)
  • 蜂須賀 禮子 委員(福島県大熊町商工会会長)
  • 崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )
  • 野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
  • 大島賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)
  • 田中三彦 (科学ジャーナリスト)

【録画配信】

【配布資料】

【記事録】



アウトライン

参考人 原子力安全委員会 委員長 斑目春樹

参考人 前経産省 原子力安全・保安院長 寺坂信昭 01:40:45 ~

■ 第4回国会事故調 散会後の黒川委員長 記者会見



黒川清委員長 00:00:00 ~
それでは時間が参りました。国会による東京電力 福島原子力発電所事故調査委員会、通常、国会事故調といっておりますが、第四回委員会を開会致します。お手元にありますように、先ず今日の項目の2番目ですが、委員会の運営についてお諮り致します。

先ず、委員会の運営に関しては党委員会の参与として、お手元の資料1に記載の通り、原子力工学がご専門の木村一郎先生、それから放射線医学、その他 分子生物学のご専門の児玉龍彦先生、更に経済学、公共政策がご全問の八田達夫先生の3人が任命されましたのでご報告致します。

次に委員会運営規程についての運営についての運営規程についてお話ししますが、この委員会の運営規程ですが改めてお手元に配布した資料2の案で進めたいと思っておりますが、特に委員の方からご意義ありませんか?はい。ありがとうございます。それでは異議なしと認め、そのように進めさせて頂きます。ありがとうございます。

それではですね。今日の3、4に入りたいと思います。先ず、原子力安全委員会に関する質疑応答ということで、本日の参考人等の質疑応答を開始しようと思っておりまして、本日は原子力安全委員会の班目委員長と、原子力安全・保安院の寺坂信昭院長においで頂いております。

お忙しい中、お二人の委員長、院長に国会事故調の調査にご協力いただきありがとうございます。今般の東京電力福島原子力発電所事故当時、お二人とも最前線の責任者として大変な責任のある立場で、大変ご苦労された二人から、当時の状況、経緯を伺い、原子力災害時の緊急対策について、

事故の被害の軽芸対策について、また、今後の原子力安全のあり方等についてゆう粋な銀をさせて頂ければと思っておりまして、先ず、原子力安全委員会について、班目春樹 原子力安全委員長にお願いいたします。本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします。



参考人 前経産省 原子力安全・保安院長 寺坂信昭 01:40:45 ~


黒川清委員長 
ちょっとお疲れかも知れないけど、この後続けて宜しいですか?次にはですね。原子力安全・保安院について、寺坂信昭 前原子力安全・保安院長でございますがお願い致します。どうも。寺坂院長。元院長ですね。前院長、ありがとうございます。

本日は参考人としてご出席頂きましてありがとうございます。最初にお尋ねしますが、原子力安全・保安院の設置は元々なんだったのでしょうか。色々ご意見を伺わせて頂きたいと思いますが。是非、フランクに言って頂ければと思います。宜しくお願いします。先ず、設置の目的を簡単にご説明お願いします。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
昨年8月まで経済産業省の原子力安全・保安院長を勤めておりました寺坂信昭でございます。平成21年7月14日から、昨年 8月11日まで、3月11日の事故発生時を含めまして、院長の任にありました。今回の東京電力、福島第一原子力発電所の事故に関しましては、

その発生と事故の進展に尽きまして、今なお、発電所とその周辺は通常の状態にはなく、また、住民の方々の避難が継続され、大変なご苦労をかけしている事など、安全規制を担当していた物と致しまして、誠に申し訳なく承っております。深くお詫びを申し上げます。

原子力安全・保安院は、原子力の安全と、それから、私どもは産業保安と呼んでおりますけども、原子力以外の電気関係、それからガス、コンビナート、鉱山等々、それぞれ、何れも安全を確保して事業が進められていくという事。とにかく安全を確保するということを任としている組織として、2001年にスタートしたものでございます。

黒川清委員長 01:43:15 ~
はい。ありがとうございます。そうするとこの法令の設置の目的には、人命法案、或いは住民の保護みたいな話しはあるんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
えっと、あの、安全の確保という、そういう事で理解をしておりまして、勿論、あの、その、ええ、安全を確保するという事は、結果において、その、住民、或いはそこの事業をなさっておられる従業員の方々、そういう方々の安全と確保とそういった物も併せてのものと理解しておりますので。(黒川委員長:なるほど。)そういう物だと思っております。

黒川清委員長 
今回のように何か起こった時の周りの住民とか、色んな話しについてはないんですかね?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、え。事故そのものに関しては、あの、原子力災害対策特別措置法、また、別の法律があるわけでございまして、そういった事と併せまして、それで全体としての広い意味での安全の確保と。それから被害の、あの、えええ、最小化。そういった事についての対応を進めていく。そういう物だと認識をしてございます。

黒川清委員長 
IAEA の基本安全原則なんかだと、保安っていうのか、安全だと、放射線の影響から人々をどう守るかという事は従業員に関わらずですね。そういう話も書いてありますよね。そういう対応についてはここ(保安院)では使わないんですかね?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、原子炉等規制法あるいは原子力災害対策特別措置法、そういったものと、ええ、重ね合わせまして、全体としての安全確保を進めて行くという事で考えております。

# 安全という一言の言葉に含まれるので問題なのか。つまり無いってことじゃないか。


経産省 保安院:事故直後の経産省・保安院の事故対応について

黒川清委員長 
そうすると前 委員長はですね。その前には次長も務めておられるし、その時の耐震指針の時も次長として関わっておられますけど、そういう意味では今の保安院の内容、あるいは使命については十分ご存知だと思います。それを踏まえた上ですね。

今日は、是非、本当に来て頂きまして、御礼申し上げると共に、この委員の方で色々、前院長のご意見を伺いたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。それでは最初に事故時の対応という事で、その時は院長でございましたので野村委員の方から宜しくお願いします。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)01:45:55 ~
委員をさせて頂いています野村でございます。事故時の対応についてお伺いしたいと思うんですが、今は安全保安院について一般的な役割についてのご説明を頂いたんですけども、


保安院というのは、原災法、先程ありました原子力災害対策特別措置法に基づいて事故後設置されます、原子力災害対策本部において事務局の役割をされているという事を理解しているんですが、その時の事務局長も寺坂さんご自身であったと理解して宜しいでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
原子力災害対策特別措置法に基づいて、原子力災害対策本部が出来ました時に、その事務局長として私、まあ、原子力安全・保安院長がその事務局長になるとそういう仕組みと理解しておりますけども、原子力災害対策本部そのものは、これは制度的には内閣府の組織であります。

それで各省庁から関係の職員の方に集まって頂いて、それで事務局が構成される訳ですけど、その事務局の場所は原子力・安全保安院の建物の中にある原子力・安全保安院のERCと続に呼んでおりますけど、そこが事務局になるという事でございまして、

そういう意味では、事務局の多くは原子力安全保安院の職員でございますけど、他省庁の方々にもご参画頂いた形での事務局が構成されるという事でございます。

# 自分が責任ある事務局長であるとは自分の口で答えない。他省庁も参画している事を強調するところが責任逃れをしているようにしか見えない。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
あの、そうは言いながらも事務局長であったという事は当然だと思うんですけど。今、原子力災害対策本部において、当時、議事録の作成が行われていなかったという事が、一般的な国民から見ても批判の対象になっている訳なんですが、

そのことについては、公文書管理法等の関係で考えてみますと、やはり、本来事務局長として作成を指示し、そして保安すべき立場にあったんじゃないかなと思うんですが、その点について不作為の責任という物はお感じになっておられないでしょうか?

# 議事録の確認、誰だどう指示したか、全く分らない、公開しようとしない現状について記者から厳しい指摘が何度も何度もあったにも関わらず、森山対策監は個人が所有しているメモは公文書ではないので管理する必要もなければ公開する義務も無い。必要であれば事故調で明らかになると、記録の管理、保護さえ拒否した森山対策監。記録に残ってるんですけど。保安院の責任に及ぶ質問に対して回答を繰り返し拒否し続けてきた経産省 保安院。そして、その事故調でこれ。不作為も不作為。保身のために情報隠蔽、堂々と犯罪すら犯す保安院。いいんですか?その犯罪者、経産省 保安院自信がストレステスト作って利益相反学者を選んで意見聴取会で自らが福島と同じことは起こらない再稼働結論。日本人はどこまで無関心を押し通したら気が済むの??それとも、本当に現実が分らない救いようのない馬鹿なの?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの原子力安全・保安院といいますか、あの、原子力災害対策本部が事務局長と致しまして、当時のええ、議事録が作成されていない、という事に尽きましては大変申し訳ないと思ってございます。で、議事録と、それから議事概要等々、まあ幾つかの形があるかと思いますけど、議事録そのものについては、まあ、そもそも、ええ、速記、あるいは、あの、音声での記録という物がないと作れない物ですけど、そういった事についての対応というのが出来ていなかったという事でございます。

また、この議事概要に付きましても、まあ、現在、今の対策の中で作業が行われていると承知して居りますけども、そういった事の資料の確認も含めてですね。概要その他についての作業が進められているという事でございまして。

何れに致しましても、議事録的な物、そういったものが作られていなかったという事に尽きましては、私は事務局長という事でございますので、その点についての、大変、あの、申し訳ない事だと思っております。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)01:49:30 ~
かつてはですね。やはり似たような組織において議事録がなかったというような事の報道もあるんですけども、少なくとも公文書管理法という法律が出来て以降は、法令上の命令だと理解していますが、そういう意味ではこの事実は法令違反だという認識で宜しいでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、復興文書管理法が施行された後においてですね。ええ、議事録そのものの、今申し上げました、ええ、あのう、速記録とか起こす形での議事録がないという事については、問題は大きい物だと思ってございます。で、あの、概要的な物は、最初の頃についてはなかなか、それすらも出来ていないとお思います。途中からはそういった物が起こされているというふうに、色々精査がある事が事実でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
何かあるという事ですか?文章が?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのっ、概要というか、メモと申しましょうか。途中段階からの物でございまして、そういった事も含めて、今、あの、ええ、議事録と申しましょうか、議事概要と申しましょうか、そういった物についての思い起こしの作業が始められていると承知している。

# ひどい、ひどすぎる… 思い出して議事録作ると。無茶苦茶だ。もうやりたい放題。どこまで国民を御直ったら気が済むのか

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
ということはあれですか?最初の段階補法令違反はお認めになられると。ただ、その後、比較的早い段階からメモ等があって、それを議事録に起こす事も可能な状況にある、そういう理解で宜しいですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、議事録という物が、今申し上げましたように、一言一句の、あの、速記録とか、そういった物という事であれば、それは、あの、ええ、記録した物がない訳でございますので、それは、おそらく出来ないだろうと思っております。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
一言一句正確性がなくても、かなり信憑性のある物が作れると。ただ、最初の、当所の数時間、数日かも知れませんが、この部分については、違法性を阻却して欲しいというご意見で宜しいですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ん、なかなか、その点については出来ていないと思います。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
わかりました。すいません。またちょっと別の事なんですけど、保安院長としてのお役目についてお伺いしたんですけども。寺坂 元院長は、まさに官邸の中に居られたという事で宜しいでしょうか?規正庁のトップとして官邸の中にずっと詰めておられたという事で宜しいでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
いえ。違います。当所、あの、11日の日の、あの、ええ、緊急事態宣言が出されて、その後の官房長官の記者会見がございまして、その、あの、補足と言いますか、そういった事をするまでが、私が官邸にいた所でございまして、その後は先程の原子力安全保安院の ERC 、そこに戻っております。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
それはどなたかの命令でそちら戻られたんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
いえ。私と、それから次長との、ええ、相談によりまして、私が原子力安全・保安院に戻り、次長に官邸の方に残ってもらったという事でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
平岡次長の方が官邸に残られたというのを決められた理由というのは? 院長の方が官邸にいるべきではなかったんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
そこは、どちらがということはございますけども、ちょうど、あの、平岡次長も、あの、官邸の方に途中から、、一番最初は、私が、あの、官邸の方に向かいましたけれども。途中で平岡次長も官邸に来ていると言う事を認識しました。

そう致しますと、原子力安全・保安院の建物の所に、私も次長もいないと言う状態になりますので。ええ、まあ、どちらが原子力安全・保安院の方に行くか、あるいは観点に残るかという事を考えました時に、私はどうしても事務的な、ええ、事務系の人間でございますので、これだけの、非常に大きな事故と、技術的な知見という物も極めて重要になってくる。

そういった中で、ええ、私が残るよりも官邸の方に技術的により分った人間が残ってもらう方が良いのではないかと、これは私自身が判断いたしまして、私は原子力安全・保安院のほうに戻った次第でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
あの、私はちょっとびっくりするんですけども。原子力の規正行政庁のトップは、原子力につての知見を持たない方がなっておられるという事なんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
知見と言いましょうか、いやっ、今私が申し上げましたのは、事務系の、原子力工学その他、そういう理科系、の、そういう、う、訓練、といいますか、あの、学問を積んで、それで、原子力安全行政、そういった物をずっとやってきたという事ではないという事でございまして。

# 事故直後から女のケツを追い回していた人間性すら疑う西山審議官も原子力の専門家ではない。経産省のエネルギー部門、原発推進からの生え抜きを宛てた経産省。当所、経産省からの西山審議官の抜擢に対して経歴引き合いに褒め称えた原発推進メディア。政府、経産省、海江田大臣とメディアが事故直後から一体何をして来たか、今一度思い出すべき。

元々は事務的な物でございまして、次長の時に、あの、初めて原子力安全行政を担当したという事でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
そうなりますと官邸での動きというのは委員長ご自身ではなかなか把握し難かったんじゃないかと思うんですけども。寺坂元院長自身は官邸の5階、地下2階などで、あるいは中二階というのがございますけど、ここらで具体的にどのような対応を取られてきたのかという事については、その段階ではリアルタイムで把握されておられたんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、リアルタイムと申しましょうか、場面場面を見ている訳ではございませんので、そういう意味では、厳密な意味でのリアルタイムは出来ておりませんけども、あの、そこの官邸の中で幾つかの重要な事が決まった、あるいは決まる前とか、こういう議論になっている、こういう状況になっていると言う事については、官邸にいる者からの連絡、そういった事によって状況を把握していたという事でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
それぞれの階では、何を役割として担っておられたのでしょうか?官邸の中ですけども。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、官邸の中は地下に危機管理センターがある訳でございまして。そこでは震災そのものの対応、それから勿論、原子力災害に伴います対応、そういった事についての関係省庁、局長クラスの方がお集まりでございますけども、そういった事で住民避難を含めた、そういった連絡、調整、そういった物がなされていたと理解しております。

それから、5階の方では今申し上げました、といいますか、あの、緊急事態宣言後の避難指示の関係、あるいはベント作業等々 プラントをどのようにやっていくか、あるいは電源車を中心として電源をどのように確保していくのか、そういった事についての作業というのが、官邸の中では行われていると。

勿論、あの、原子力安全・保安院の方でも、あの、平行した、その、情報収集、その他の作業を行う訳ですけど、そういうふうな状況になっていると言うふうに理解しておりました。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
中二階は何をやっているんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
中二階に尽きましては、私自身は、あの、中二階と言うよりも5階での議論というふうにずっと理解しておりますけど、何れにしても、そこに次長、あるいは海江田大臣とお集まりになって、ええ、検討が重ねられていると理解しておりました。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
あの、先程ですね。原子力の科学的な理科系の知識は自分は持たないと。文化系の人間だと。でも、まあ、トップはトップな訳ですね。で、今回の政府事故調の報告書などを見ますとですね。まさにここに官邸の中での意思疎通、こういうロジスティックな部分が非常に、こう、おかしかったと。いうことが指摘されている訳ですけど、そここそが文化系の委員長のおやりなるお仕事じゃなかったんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
その点に関しましては、むしろ、原子力安全・保安院に置かれておりましたERCから情報提供をしていくと言う事について、これは先ず、あの、ええ、そのう、まあ、一義的な役割というふうに思っておりますんで。

それが、あの、官邸に伝えると。官邸の中で、これがどういう形になっていくのか、という事については、官邸の中にいる者、その、次長をはじめとしてですね。ええ、その、要路に、あの、ええ、関係の、あの、情報を伝えていくという事だったと思っておりますけれども、、

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
当時、管総理はですね。5階に情報が上がってこないと。保安院からの情報が上がってこないという事を相当程度ご指摘されている訳なんですけども、それは、じゃあ、そこに居られた平岡次長の責任だという、そういう整理で宜しいでしょうか。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
まあ、あのう、保安院から情報を入れて、これが、ええ、全部が全部、いっているとは思いませんけれども、必要な情報についてはですね。ええ、あの、大臣、或いは、場合によってといいますか、総理の所にですね。情報が伝わっていると。そういう中での検討が行われているというふうに、、

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
それは外からそう信じておられるという事だけの事で、現実に上がってないと報告書になっている訳ですね。そうなりますと、そのことについてきちっと確認をされてなかったという院長自身の責任はないんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
その点が、どういう形、あの、確認、といいますか、伝わっているというふうに考えていたという事でございますので、その確認が、十分でなかったと言われれば、その点は、あの、あろうかと思います。必要な情報については、時に求められ、あるいはこちらから出して、それが何らかの形で必要な形で伝わっていく。

それから、東京電力の方も官邸の中にいる訳でございまして、そっちのルートからの情報、そういった物も併せて伝わっているというふうに理解しておりました。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
委員長はあれでしょうか。あの、原子力安全・保安院長として、総理から求められれば、その時点で一定程度の助言をすべきお立場にあったというふうに理解していますが、それはその様なお役目があったという理解で宜しいですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、現実にどの程度役に立ったかという事についての事が、別途あるかと思いますけど、やはり、あの、技術的な要請、そういった物が非常に強くございました。ですから、そういった中でどういう形での具体的な提言、そういった物が出来たかどうかについては、今、振り返ってみた時に、必ずしも自信がある者ではございませんけど、

その場に残っていたとすればですね。そういう形での何らかの発言、あるいは助言と申しましょうか、そういった事をやる役割であったのだろうと思います。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
とういうことはあれですか?もう官邸から退かれてしまったので、その役目は果たされなかったという事で宜しいですね?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、それ自身は、しばらく官邸の方には言ってございませんので、今、先生のおっしゃったという意味で行けば、あのう、総理との関係というものは、しばらくは出来ていない。そういう状態でございます。(黒川委員長:うん。)

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
あの、例えばですね。1号機の炉心の状況というのを、元院長の寺坂さんご自身は、どう理解されておられたんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
1号機に関しましては、元々、非常用復水器、これがあって、これは電源がなくても機能していくと。で、非常用復水器というものが、しばらくの間は作動していると。そういう状況、認識を持っておりました。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
それはあれですか。官邸で色々議論されている事はリアルタイムで、離れておられる院長の所にも届いていたんですか?

例えば何かテレビ電話システムみたいなもので、同時中継的にそこでの議論が共有出来たり、あるいは院長自身に意見を求められたら、総理に対してその場で直接意見を言うという、本来、法律で定められている役割を果たすべき環境にあったんですか?

それとも遠隔的な所にいて、普通の行政庁の建物の中に居られて、そこで情報が来れば、タイムラグがある事を承知の上で、遠隔操作をしていたという事で宜しいんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)02:03:17 ~
あの、後者の方でございまして、東京電力からの情報、あるいは現地のオフサイトセンターからの情報、こういったもの、これを官邸の方に伝えていくという事でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
という事は、もしかすると、先程、ご自身では居れば出来たかも知れないが、居なかったので出来なかったという発言だったので、そういう意味では、ご自身がそこから退去された事自身は、法律上要求されている、いわば責任を放棄されたという理解で宜しいですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ま、先程、申し上げたような、事務局の、その場所が原子力安全・保安院にあるという事でございますので、私はそちらの方に戻ったという事です。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
根本的に間違っていると思うんですけど、原子力安全・保安院に事務局を置くと法律に書いてあっても、建物に置く訳ではないので、それは全く間違いだと私は思いますけども。それはあなたが原子力保安院長な訳ですから、それは物理的にですね。建物に戻る事と同義ではないと思いますが、どう思いますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
建物と言うよりも、私は事務局に戻ったという、そういう認識でございます。

# ( ゚д゚)ポカーン ダメダコリャ

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
わかりました。


官邸の決定に対する保安院の助言・情報共有 ~ 避難区域、SPEEDI 等

黒川清委員長 02:04:30 ~
えっと、それで、そのまた後のことで、ちょっとまた保安院長に伺いたいんですけど。櫻井委員。どどうぞ。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
委員の櫻井でございます。只今、野村委員の方から情報の伝達とか、いろいろな官邸で節目節目で避難の問題、ベントの問題、その他が決定された際に、場所は ERCの方におられたということですが、その話は入ってきてしかるべき助言等はされたというご説明なんですが、いくつかのパターンがあるので、全てについて時間の関係でお伺いしませんが。

例えば、避難区域の設定、3km、10km、20kmになっていった訳ですが、避難区域の設定の際にですね。決めておられるのはそちらではありませんけど、官邸で決められるにあたって、どのような考え方、どのような根拠でそう言う決定がなされたかということを 事務局長であるのか、院長であるのか、ちょっとわかりませんが、その辺のお立場として、どういうような話があって、どのような認識、判断のもとにこういう決定がなされたという理解でしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
避難区域については、あの、ええ、事故が発生して、ええ、避難というものをどういうふうに考えていくのか、ということについての中でも議論を始めている、それから、あの、間もない段階で、ええ、3kmから3km県内避難、それから10km県内屋内退避ということで、

ええ、その、ええ、手続を進めるように、指示を出すように、あっ、指示が出たということについての、連絡が入りましたので、それを受けて直ちに関係する地元を中心にしてですね。避難指示の内容について、ええ、伝えるという、そう言う作業に入ったということでございまして。

原子力安全・保安院のところにあります事務局の所で、え、例えば、あのう、3km、或いは10km、そういったことについての避難が適当だということについては、作業的には間に合わないまま、に、指示が、降りてきたということでございます。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
10kmの時はいかがですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、10kmも同様でございます。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
そうしますと保安院の意見を聞いた上で決められたということではなくて、トップダウンという言い方が相当かどうか知れませんけど、保安院の方には決まった結果みたいなものが伝えられたわけですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
結果的にはそうでございますが、先ほどお話申し上げましたように、あの、官邸の中での議論に保安院の人間も入っている、そういう中での決定でございますので、そういう意味では、全く知らない所で決まったと言うことではないというふうに思います。

# どちらにせよ保安院のトップ抜きにトップダウンで決められたということじゃないか。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
それで、そのまあ、院長ではくて次長なのかもしれませんが、官邸におられて、そうしますと官邸におられる次長もなにかデータがなければ相談を受けても答え用がないわけですが、次長はどんな指示に基づいて官邸での決定に関与されていたんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
私が理解しておりますのは、通常、毎年いろんな形でおこなっております防災訓練の中で、先ず、2km、3km、これを避難範囲として、それで訓練をしてきているということ。それが最大10kmということでございますけど、そういう中で、十分なデータが無い中で、避難をするとした場合に、先ずは3km避難指示をするということで決めたというふうに承知をしております。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)02:09:00 ~
あの、当初の段階はともかく、ちょっと時間が立った段階で、言わば避難訓練の時の程度と今回の事象とは全く程度が違うということはお分かりになった筈なんですが、その辺はいかがでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ま、あの、1号機、あるいは2号機、それぞれのプラントにおいて、ええ、問題が進展をしているわけでございますので、3km、次の10kmにあたって、3kmだけで十分かどうか、そういったものについての意識はございました。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
それから後にベントという話が出てきまして、常識的に考えると、ベントをすれば当然外に色々漏れていくと。住民の方にそれが影響するということは、自明の理なわけですが、ご承知の通り、SPEEDIというシステムをお持ち、直接お持ちじゃないんですが、

保安院が活用出来るようなシステムになっておられた筈ですが、先ほど言いました3kmと、あるいはベントにあたっての10kmと、その他を考える上で SPEEDIについてはなにか参考にされたんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)02:10:15 ~
あのSPEEDI に関しましては、もともとSPEEDI のシステムの活用の仕方が、避難対象地域を確定すると。且つ、まあ、事故の想定がなにかちょっとしたトラブルがあって、それから事態が進展して行って、ある程度の時間的余裕と申しましょうか、そういったことがある中で、それでSPEEDI を活用して、避難対象地域の確定をする。で、まあ、何時間か後までに避難が必要と。

そういったもので活用するシステム。で、その後は、そう言う方向においての、ええ、モニタリングの内容を充実する、等々、そういった面での活用される、そう言うシステムというふうに理解しておりました。(黒川委員長:う~ん、う~ん)

# 何をしゃべっているのか理解出来ない…

で、まあ、今回は、あの、ええ、福島のプラントで問題が生じて、それから自体の進展も非常に早いという事でございました。一方で放出源情報これが入らない、伝送システムのダウン、これが入らないということが御座いましたので、SPEEDI そのものが非常に使えないと、そう言う意識になった訳でございまして、

そういう意味合いで3kmの指示の後かと思いますけど、SPEEDI は、なかなか避難距離、或いは避難距離ございますね。そういったことについては使い難いという物それから、あわせまして3kmの時に同心円の避難という指示でございます。(黒川委員長:ふん)

これは、それ自体は大変重要な判断だと思っておりますけども、同心円に避難でございますので、方向性をどう考えるのか、ということについては、意識としては薄いものになっていった、というふうに思ってございます。

更に10kmの場合も同心円避難ということでしたので、対象地域としてはすべての地域になるわけでございます。そういう意味で、避難対象地域を確定するという意味でのSPEEDIの活用、データがないということもございますけど、意識が薄れていったものと思っております。

# 実は使える代物ではないんだと安全委員会 斑目委員長、前・経産省 保安院長 が口を揃えて言う SPEEDI。国民の意図値を守るという大義名分で莫大なぜ金を投じて作ったSPEESI。原子炉の状態を受け取り連携して動作するERSS も信じられないトラブルが頻発しており検証が必要。これらシステムの検証なしに原発の再稼働はあり得ない。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
ERSS からのデータが入ってきていないという事は、私どももよく分かっているんですが、それとは別の計算をですね。割と早い段階で技術センターのほうがおやりになっていて、そのデータが保安院の方にも送られてきていると思うんですが、その辺の認識はございましたか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、当初の保安院自身がお願いして行った、ああ、ええ、SPEEDIデータが、これは、明確な話ではございませんけど、何らかの形で見たのではないかと思ってございます。ただ、その後の保安院が行った作業、それから文部科学省さんのほうが中心になって行なっていた作業、これに関してはそういったものが事務局の所、ERCの所に送られてきている、そういうものがある事についてはしっかりした認識は持っておりませんでした。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
また、その続きの話なんですが、保安院なりに来たSPEEDIのデータは、官邸の地下なりに送られたかどうかという点については如何ですか?先ほどの情報の共有という話なんですが。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、当初の、あの、保安院が行った作業のうちの、最初の2回分。これについては官邸の方に送られているという事は確認ができております。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
その後、そのデータというか、図形図なのかもしれませんけど、これがどういう取り扱いをされてどこまで周知されたかという点、報告されたかという点については如何ですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
その地点で、それがどういうふうに共有されていったか、危機管理センターの方では共有されたと思っていますけども、5階との関係においては、それが紙として説明をされたのか、あるいは内容だけが説明されたのか、その後、色々聞いておりますと、


なんか、紙については必ずしも関係する方々についての認識がないというふうに聞いておりますので、紙が、ええ、配られてそれで情報共有がされたかというと、それは出来ていないんではないかと言うふうに思っております。

# 統合会見でも日隅氏と木野氏が繰り返し保安院がSPEEDIの情報をどのように扱い、どのような経路で官邸に情報あげたのか、繰り返し問い詰めたが、担当者の名前すら明かさず、いずれ事故調で明らかになると回答を拒否した保安院。しかも議事録すらとっていない。あれだけ指摘されたのに無視。保身のために法すら犯す保安院。一方、当時の細野豪志補佐官は統合対策本部はじめとする議事録はとる性格のものではないと会見で説明している。取る必要はないのだと。補佐官の立場でそのような発言ができるのか。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
院長としての立場と、事務局長としての立場と2つお持ちだと思うんですが、まあ、そういうものがですね。届いているか、届いていないか、という確認とか、勿論、これは届ける必要がないという判断をですね。局長、事務局長、あるいは局長がされた場合と、それからそういう事の把握をしてないくて、届いたのか、届いてないのかも分からなかったというのか、その辺はいかが、、

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
それは後者の方でございまして、情報として共有されているであろうと。送った物に関してはですね。相違事でございます。ただ、その時点で先程申し上げましたように、私が最初の二つのケースに付いて、自分自身が、その図形図そのものを見たのかどうかと言うのは、必ずしもしっかりした記憶はございません。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
時間の関係で細かい事外しますけど、その後、何回か色んなやり方で SPEEDI が動かされていた事は、報道等でご承知、あるいは検証されておわかりになっていると思いますが、そういう中で、時期は別として、北西の方向というか、北の方向に流れていた時間帯、日時があった事は確認されていますね?そうなりますとその辺について、SPEEDI との活用との関係では、そういう物についてどこかに情報提供などという事の必要性があったんではないかという事をお考えにはなりませんか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、その時点でその様な作業が行われている、それ自体について私に認識はございません。その後、色んな形での、SPEEDIについての議論と言いましょうか、情報公開の要求等々、そういった物がある中で、それでSPEEDIの作業を行った物については、これは出すという事になった前の段階で、実は、あのう、ええ、原災本部事務局の中、ERCの建物の所での、ええ、こういった作業をしておりましたと。

で、まあ、これについては、あのう、まあ、担当の所だけになっていたんですけれども、と。これは作業しているので、まあ、全部出すという事であれば、これは、出すという事で、それで知った訳でございまして、で、その後、今のご質問との関係で行きますと、その、なされておりました、作業経過を見た時にですね。

これが、あの、それぞれの段階で、ええ、そのぉ、ええぇ、、出されておればですね。避難の方向とか、そういった事について、え、何らかの形で、え、参考に、いい、なったのかも知れないと。そこは色んなケースが順次ある物ですから、どういう活用のされ方が出来たのかどうかという事は、ともかくと致しまして、ええ、何らかの形で、あの、有用な、あの、情報になったのではないかと。そういう思いは致しました。

# 前 寺坂保安院長は全般的にしどろもどろで何を話しているのかわからない。自分たちが住民を被ばくさせた事実を認識しながら、情報公開請求があって公開せざるを得なくなるまで情報を隠し続けた経産省・保安院。当時の細野補佐官はSPEEDIの存在すら知らなかったと。放射線量が高い所に避難している住民がいる事を知りつつ、保身のため情報を隠し続けた保安院。文科省も。誰も罪に問われない。裁かれない。のうのうと人命軽視、経済優先の原発事故がなかったような対応をとり続けた、撮り続ける国(官僚)と政府。


櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
あの、まあ、避難された住民の方。特に結果的には放射線量の多い方へ動かれた方がある事は事実だと思うんですが、そういう方々の気持ちからすると、SPEEDIが単位量でやったとか、色んな、まあ、隘路のあった事は分っておりますが、

あの方達の受け止め方、意識という物をもう少し、頭に置いて動かれると違った結果になった、というのは避難先が変わったという意味じゃなくて、心の問題も含めてですね。もう少し違うような保安院なり、国の対応が出来たんではないかと、私は個人的に思うんですが、院長はその辺はどのように感じられますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
今、申し上げました通りでございまして。あのう、同心円避難という事でスタートして、先程、避難の対象地域 云々というお話しを申し上げましたけど、あの、そういう、同心円避難、それから、あのう、放出源データが使えない、

そういった事によって SPEEDI という物が今回のケースで使い切れないという意識になったという事でございますけど、そういった事ではなくて、色んな作業をしてみて、そのことの情報が、ああ、その、示された時に、避難の仕方、あるいは今指摘があったように、

その後の気持ちの話し、そういった事も含めまして、ええ、何らかの形でのより良い、その、使い方、有用な情報になったのではないかと。そういう思いは私としてありまして、そういう点ではもっと、SPEEDIのある種、応用編としての、あの、使い方、に、ついての、お、意識を、あの、より、しっかり、持つ事が出来れば、ああ、役だったのではないかと、いうふうに思っております。

# 統合会見では不正確(単位放出量)な情報を公開すると混乱するので正しい情報で計算する必要があったのでと言い訳。その後、出来ない時は単位放出を行うように定められている事も発覚。彼らは計算されたSPEESIのマップ出力されたものを見ながら、それを見ながらも住民の避難に役立つとはこれっぽっちも思わなった。そんな馬鹿な話があるか。会見で誰が誰にという質問になると一切答えず、事故調で明らかになると回答を拒否し続けた保安院。でもって明らかにするために自分たちで都合のよい議事録を作ってますよ。世界の笑いもの。日本の恥。公然と犯罪を犯す官僚たち。

櫻井正史 委員(元名古屋高等検察庁検事長)
はい。どうもありがとうございました。


シビアアクシデントとストレステスト、保安員の人材と資質に関して

黒川清委員長 02:21:35 ~
はい。どうもありがとうございました。では、次にまた、色々大変ですが、田中委員の方から、最初の時期の話しです。宜しくお願いします。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
田中と申します。日本の原発はですね。深層防護とよく言われる5つの壁と5重の壁というような事で、原子力の安全は確保されているという事を電力会社のホームページにも出ておりますし、そういう解説が非常に多いと思います。

で、今回の事故はですね。深層防護、そして5つの壁が、殆ど一瞬にして駄目になってしまう、そういう事例だと思います。これを当時、原発の原子力の安全規制機関の長と…


黒川清委員長 
田中さん、これにちょっと。(マイク交換)

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
はいすいません。機関の長として経験された訳ですけれども、どのような、今、それに関してどういう感想がありますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、まあ、既に、本日、この場でのご指摘、で、今、ええ、政府ベースで纏めた報告、あるいは政府の、あの、ええ、事故調査検証委員会の指摘、まあ、その他様々なご指摘を頂いている訳でございまして、あの、色んな形での、あの、えー、その、備えと申しましょうか、ああ、いろんな、何かが起こる可能性があるという事についての備え、

これは体制の問題、安全基準の問題、色んな形、意味での備えでありますけど、そういう備えが十分出来ていない中で、事態が発生をしたという事でございます。で、事態が発生した後についての対応につきましても、あの、ええ、備えという物について、足りない点が多くあったと。

そういう事によって自体の進展という物をもう少し、早い段階で抑えるとか、そういった物が場合によっては出来たのかも分らない。そういう、備えという物が出来ていないままに、今回の事故、その後の展開という物が生じてしまったという事でございます。その点については大変、規正当局としても問題があったというふうに考えておる所でございます。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
具体的に備えとおっしゃっておりますが、その備えとはシビアアクシデント対策の事をおっしゃっているんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、シビアアクシデント対策、ま、広い意味でのシビアアクシデント対策でございますけど、そもそも、その事態が発生しない、これが一番良い訳ですけど、仮に今回のような事態が生じた時に、これを出来るだけ、最小化していくと。

そういう意味ではシビアアクシデント対策かと思いますけど、そういった事を。それは先程来、ご指摘のあります、その、ええ、体制の話し、あるいは、その、防災の訓練の話し、まあ、諸々ある訳でございますけど、そういう広い意味で、単にシビアアクシデント対策と限定した物ではございません。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
深層防護とずっと言ってきましたけど、深層性が足りなかった。そういう認識ですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
シビアアクシデント対策そのものは、例えば、自主的な措置として行われてきておって、法令上の要求にはなっていなかった。そもそもその内容で十分だったのか、ということも勿論ある訳でございますけども、制度的にもそういったもので留まっておったと。そういう事でございます。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
繰り返しになりますが、脆弱な5つの壁であったり、深層防護、あるいは多重防護とも言っているけれども、それが非常に脆弱であったという事は言って宜しいですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
結果において、例えばシビアアクシデント対策も、自主的な措置ではありますが、電力融通が短時間の間に出来るとかですね。そういう長期の電転送質の自体の予定をしていない。そういった物でございまして。

更には、ええ、同じ発電所内で複数のプラントが同時に被災をしてしまう、非常に厳しい状態になってしまうと言うような事は、あまり予定されていない中でございますので、そういった面での不足という物はあると思っております。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
ストレステストというのをご提案なさっていますか?寺坂さんご自身が。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
これ、あのう、私自身が提案した物ではございません。これは、あの、確か、ええ、原子力安全委員会の方から、そういう事について検討をするという事についてお話しがあったというふうに理解してございます。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
でも、あのう、院長の在任中に、これはストレステストという事が出て参りましたか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ストレステストの話が出て参りましたのは、確か6月の終わりでしたから、在任中でございます。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
そうですね。そうするとストレステストというのは、それは、あの、ええっと、深層を、先程言った、ええ、あの、なんと言うんですか。対策ですか。備えという物に直結する物なんですか?これは。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ストレステストについての私の理解におきましては、別途、福島の問題とは別に、またの原子力発電所の安全対策という物を どう考えていくのか、という事が、まあ、その、事故発生して、間もなき時からあった訳でございますけども、ま、それに対しては、

あの、3月末に、いわゆる緊急安全対策として、他電力、他の発電プラントについての検討指示をし、それから、更に、5月か6月だったと思いますけど、あのう、シビアアクシデント対策、これについて更に指示をして、各電力会社、事業者の方で、

その内容についての検討が進められ、私どもも評価した訳でございますけど、それはいわば、今までの仕組みの中で、それを更に強化をすると申しましょうか、という事でございますので、もう少し違った角度から、今回のこういう事故を踏まえてですね。

# 今ある制度の中で。現行法では。現在の仕組みの中では。経産省・保安院の十八番。書いてある事以外の事はしない。欠陥だらけの方の立て付けの中で何をどうすれば、寺坂の言うような強化が出来るのか。受け答えを聞いて無能ぶりがよく分ると思うけど、こんな原子力の事も知らない文系の人が原子力安全を取り締まる期間の長だったんですよ。非常時に女の尻を追いまわしていた西山審議官といい、ただただ開口するばかり。ちなみ西山審議官の娘は東電社員。

ええ、どのような、その、安全確認、安全評価というものがあるのか、という事について、ええ、別の形での、その、仕方があるのではないかと。言うような、そういう事になったというふうに記憶しております。そういう議論の過程で、ストレステストという物が、ヨーロッパの方で入っていたと思いますけど、そういうストレステストという物を、今回、日本でも導入する事によってですね。

これは主として、福島と言うよりも他の発電プラント、これについての安全対策を考えていく、そういう過程の中で、あの、生まれて来たものと理解しております。

# なんで今頃ストレステストをやると言い出すのかと、一斉に管総理を避難した与野党、メディア。管おろしに躍起になっていた。反原発姿勢の大臣をメディアとぐるになって引きずり下ろした野田。今やストレステストが当然になっているが、それもなしに原発再稼働するつもりだった原子力村の事を忘れてはいけない。ストレステストを作ったのは保安院。EUといいながら、短時間で行える大雑把な間に評価といって良い一次評価と二次評価にわけて一次評価を原発再稼働の条件にした経産省・保安院。規制どころか原発再稼働しか頭にない保安院。もうむちゃくちゃだ。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
あの、えっとですね。じゃあ、我々が注意を払っているのは、どうも地震とか津波と言うような事に非常に集中しているような気がしますけども、当面、そのことで行くのか、それともオペレーションの問題だとかですね。高経年化とか老朽化と言いますけども、そういう問題も含めて、併せて検討されている所ですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、ストレステストの仕組みを作る所まで、私は担当していたような気が、、そういった中で高経年化の問題とか、あるいは、地震、津波対策を中心としたストレステストの評価、だったという事、ちょっと、高経年化は確か入ってたと思いますけど、ちょっと全体の仕組みについては、申し訳ございません。必ずしも確定的な記憶がございません。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
そうですか。ストレステストをする事でちょっと。例えば、あのう、福島の第一原発に関してはストレステストはされていないような気がしますけど。それを前年度にやっていれば、こういう事態は防げたと思われますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
今回の事故の前に、

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
今のストレステストやっていますとですね。3.11のああいう悲劇的な事故は防ぐ事が出来たと。そういう性質の物ですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
まあ、あの、私自身が、それについて、どうかというのは、正直言って、よく分らない所がございます。ま、どのような、あの、ストレステストをやって、それに対してどういう対策を取っていたか、対策が間に合ったか、という事かとございますんで、ちょっと、それについての評価は、私自身は出来ません。

# 間に合ったかどうか?? ( ゚д゚)ポカーン

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
それではですね。ちょっと話は変わるんですが、政府の事故調査の中間報告を見ますとね。原子力安全に関わる知識や課題は発電所の現場にある。存在すると。だから、原子力安全・保安院のような規制関係機関がハイレベルの安全確保能力を保持するとうことは難しいと。そういうふうに断定しているんですね。

それは迷惑なことかもしれませんけど、要するに簡単に言いますと、電力やメーカーの方が、規制当局よりも原発の安全確保能力が優れている。ということですけども、そういうふうに中間報告に書いてございます。で、そういう意味のことが書いてございますけども、これはですね。

もし、実際であれば、これは非常に由々しきことであると思います。だから、トラブル隠しだとかですね。そう言う問題に発展してきた可能性もあるんですが、ご自身は保安院の院長在任中、こういうような事を実感を持ったことがございますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)02:34:20 ~
あの、原子力安全・保安院が2001年にできて、それから人材の育成、あるいは能力アップ、これは大変重要な課題ということで、ええ、10年前後、あの、行なってきたと思ってます。そのことが長けていたかどうかは、また別でございますけど。

そういう事で、元々の旧資源エネルギー庁、等々の関係の行政組織の中での知見というものが、必ずしも足りないところがあるのではないか、というような、そういう事も踏まえた上で、発足から、ええ、いわゆる中途採用ということで、それぞれの技術的な能力が高い方、そういった方の採用というものを積極的に進めてきておったと思います。

で、それ自身が、一方で、その、ええ、現実のその、メーカーといったところが中心になりますので、言わば、利益相反とか、そういった議論とか別途あるわけですけど、そういったことに十分注意を払いながら、また、経済産業省、原子力安全・保安院の職員となった上では、

その、当然のことながら、その、行政官としての業務とうことで努めていくというのが当然でございますけれども、そういう面での、ええ、能力アップを図ってきたところであります。ただ、現場に何処まで精通しているか、あるいは技術がどういうふうに分かっているか。

今回のような急な緊急事態が、しかも、同時多発的に起きたような、そう言う状態の中で、ええ、様々な形での指揮、指導、あるいは助言、そういったものが出来る人材というものがしっかり備わっているような、そう言う状態であったかと言われれば、その点については、やはり、あの、私としては、あの、否定的に見ざるを得ないということでございます。そういったことでの備えの足りなさ、という事もあるんだろうと思っております。

# 能力のない文系のお前が言うな。経産省の中で資源エネルギー庁から看板名を保安委員にしただけの経産省・保安員。推進と規制が同じ屋根の下。IAEAのk無視してきた日本。能無しが看板だけ変えてトップが自分で知識ない、スキルないを暴露しておいて、まるで他人毎のように、否定的に見ざるを得ないって…

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
あのう、外国、まあ、例えばアメリカのNRCだとかですね。日本には、そういうものをこれからつくろうとすることなんでしょうけれども、現状、欧米の規制当局、規制機関ですね。そういうものと比較されるとど言う位置づけになりますか?日本の場合は。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)02:37:20 ~
専門性、それから知見、習熟度、そういったものについては、あの、諸外国、アメリカ、フランス、そういったところと比べた時に、ええ、行政機関、原子力安全保安院の力というものは、ああ、必ずしも十分なものではないと。比べた時には、ええ、強いものではないというふうに思っております。むしろ弱いと思っております。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
そういう事が今回の事故、というものと、なんかの背景になっているとお考えになりませんか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
その事自体が、背景になっていたかどうか、ということについては、必ずしも明確には感じません けれども、広い意味において、知識とか、事業者のほうがこう言うけれども、技術的にこういうことなのだと。あるいは、という事で、論破と言いましょうか、そういったことも含めて、自信を持って判断をしていく。

そういったことが、あの、常に、あの、徹底的に行われていたかどうか、というような意味合い、それが、その、力が、ああ、必ずしも十分でないところから、あの、生じて、いるとすればですね。これは、あの、今、あのう、先生仰った意味での背景と、言うことは、言えるのかもわかりません。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
そうすると今の意見聴取会とか、なんとか言うものが色々たくさんできておりますけども、最終的には問題を定義されても最終的に、この保安院の方で引き取って、自分の考えで、これは安全であるとか、そう言う判断をされておりますが、その辺は問題がないんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
いやっ、そこはまさに、そういう事ですから。意見聴取会、ということで、ええ、専門家の方々のご意見を伺いながら、まあ、言わば、補強しながら、あのう、作業を、これまでも行なってきたわけでございます。あの、そういう意味での、あの、今、私が申し上げましたのは、単体の保安院だけの、おお、ちから、、と、そういったことで見れば、あの、そういう事ではないかと思います。

# 原子力発電所に関する専門知識の乏しい規制機関である経産省・保安院。外部の利益相反御用学者に丸投げ(意見聴取会)、出てきた意見を判断するだけの保安院。このような体制が今回の事故、対応のまずさを招いたのではないかという田中委員の指摘。寺坂院長の回答を見ても分るように反省の欠片も感じない。利益相反学者を招いてストレステストの意見聴取会を開く保安院。背後で指揮しているのは経産省。こと経産省や経産省・保安院のことになると全く報道しない記者クラブメディア。記者会見で質問はするのに新聞、テレビでほとんど報道されることのない原子力村の中心に規制官庁である救いようのない保安院の存在。新組織の原子力寄生庁にそのまま経産省・保安院の人材が移行する。保安院はプロフェショナル集団だと統合会見で繰り返し発言、高く評価していた細野大臣。総理の下に官邸に指揮命令系統一元化に向けた足元がためを急ぐ政府。第5回国会事故調ではNRC元委員長からも知識のない総理が緊急時に直接指揮をとることは考えられないと指摘される有様。本当にこの国は腐りきっている。既存政党の政治家は自分たちの保身しか頭にない。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
ただ、メンバーを見ますと、以前と同じように、その、現場に、作業、あの、ええ、中間報告で指摘しているのは、そう言う知識やなんかをよく知っているのは、現場で起きていると。でも現場の方が非常に少ないですよね。そういう意見聴取会は。

# 意見聴取会、現場を知らない御用学者が最終的に判断を下す構図。しかも原子力で整形を立てている人間ばかり。こんなので安全が確保できるわけがない。この次の第5回国会事故調では、日本は5年に一度事故を繰り返し、次にチェルノブイリの洋画原発事故が起きるとしたら日本だと思っていたと海外の規制機関から指摘される始末。とにかく原発運転再開、再稼働しか頭にない、すべてが結論ありきで動いている国、政府。不信感を助長している理由がそこにあることさえ分からない、どこまでも愚かな政治家。不信感など払拭できるはずがないのに。

だから、そういう、また、昔と同じ、という感じを、まあ、受けるんですが、その事は時間が無いので、これは、以上、言いませんけど。

もう一つですね。福島の原発の1号機から4号機の事故に話を戻して、あれは古い技術基準、あるいは、その製造技術、設計技術。今から見ればですね。作られている。品質管理というのも今から見ればレベルが低いんじゃないかと思われます。

で、現在の知見から見ると、かなり欠陥を持っていると僕は思っていますが、そう言う古い原発に対する手立ての問題というのが非常に気になるわけです。で、今回、その、あれは1号機が1966年ぐらいから設計が始まって製造も行われている。

で72、73年に4号機が設計されております。で、そういうですね。40年を超えたもの、あるいは40年超えている古い原発があるがゆえの事故と。基礎体力という言葉がありますけど、それは関係していませんか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、問題意識としては、わたしの在任中も含めまして、それはおもって、今も、思った上での、あの、様々な、あの、検討が行われているというふうに承知をしておりますけども。あの、私が居た間、古い、かったということ、その自体が、今回の、あの、事故と直接つながっていたと、いうふうなことには、あの、そこまでには至っていないと思っております。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
どのような検討をされた結果、そう言う考え方に?

# 老朽化が事故都の因果関係はないとする発言の根拠を問いただす田中委員。老朽化を高経年化という言葉に置き換える保安院。安全委員会がEPZ拡大を示した時も地元にEPZは拡大をしなくても良いような地元説明をする説明をする経産省・保安院。再稼働しか頭にない規制機関。もう無茶苦茶。ストレステスト一次テストのみで原発再稼働にまっしぐら。大飯原発ストレステスト意見聴取回、問題の指摘、反対意見には一切答えず、我々は専門家に意見を聞いているのであって保安院が責任をもって決めると妥当評価を強行して傍聴人がなだれ込む始末。どうせ新組織に移行すれば全てはご破算。なりふり構わないストレステストの強行評価。トラブルあると難しいことになる事は学習したので隠蔽体質が更に進むと考えたほうがしっくり来る。間違いなく第二、第三の福島原発事故は必ず起きる。むしろ高くなっていると考えたほうがいい。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、いくつか、例えば、あの、ええ、古いこと、古いこといいますか、揺れによって、それが福島であるが故に、いい、何からの、その、ええええ、破損、そういったものが生じたんではないかとか、そういったものが、私がいる間、あるいはその後も含めて行われてきているかと思いますけど、それ自身については明確にそういったものではないということであります。

# 今回の福島原発事故について質問しているのに答えない寺坂。わからないのに今回の福島原発事故は高経年化とは関係ないと説明した寺坂保安院長のデタラメぶり。

ただ、今、指摘が御座いました設計の思想とか、そういった事について、ええ、あの、どういうふうに、見ていけばいいのかと、言うことに尽きましては、あの、事故が発生する前、に、起きましても、いわゆるその、高経年化対策ということで対応をしてきたけども、

そこにはやはり設計思想とか、そういったものについては、あの、明示的な形で、ええ、確認ポイント、懸賞ポイントして入っていないわけでございますので、そういったことも含めた上での、ま、高経年化対策というものをどういうふうに考えていくのか、ということについては、大変、あの、重要な、あの、問題点、問題意識を持たなければならない点だと思っております。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)02:43:35 ~
あの、高経年化もひび割れが入ってない事は断定はできないと思いますね。その辺はどう思われますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
まあ、ちょっと、申し訳ございません。夏以降、一線からは離れておりますけども、今までそういったことについて、全くない、それは問題ない、というふうに断定した事はないんではないかと思いますが、だから、そのことが問題であったということについての確認はとれて、、

# 確認もとれていないのに、さっきは老朽化と40年を超える福島原発事故と老朽化に因果関係はないと発言したのか。自分の口で言ったばかり。如何に規制官庁、経産省・保安院が腐っているかよくわかると思う。原発の危険を放置して起こるべくして起こった事故と言える。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
確認というのは、多分しようがないですね。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
まあ、そういう点も含めてでございますけど。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
最後にちょっと1つだけ。事故直後にアメリカなんかからですね。3月11日、12日あたりの話ですけど、手助けをするという話はあったんですか?例えば、メーカー。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
えっと、私自身は承知して御座いません。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
そうですか。それで、これを気にしているのはストレステストというのに対して、アメリカは今、どのような反応をしていますか? 3.11以降。で、日本はずっとアメリカ型のですね。あのう、告示501 旧のにしても、維持基準にしても、アメリカをベースにしながらずっとやってきた訳ですけど、

告示501号(発電用原子力設備に関する構造等の技術基準)の概要
http://www.meti.go.jp/committee/downloadfiles/g41018a320j.pdf

突然これが、ヨーロッパの手法を取り入れるという、この考え方の一貫性のなさというか。それから逆を言うと、アメリカは福島を受けてストレステストと言うようなことをやっていますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
えっと、すいません。ちょっともう、ええ、記憶は定かではございません。何らかの形での、同じかどうかは別にして、何らかの形でのストレステスト的なものをアメリカが検討、あるいは、採用してるんじゃないかと、ちょっと、あの、間違ってたら申し訳ございません。

田中三彦 委員 (科学ジャーナリスト)
わかりました。ありがとうございました。


黒川清委員長 02:45:45 ~
いいですか?どうぞ。


世界の教訓、専門家の指摘をことごとく否定した背景

大島賢三 委員(独立行政法人国際協力機構顧問)
今の田中委員の質問に関連します。補足のような質問を1つだけさせて頂きたいと思います。先程、委員長の方から色々想定外の事、過酷事故に対する備えがない、なかったという反省を述べられました。

で、まあ、あの、原発事故は何処の国であっても絶対にあっちゃいけないことだと思いますね。

で、就中(なかんづく)、日本は広島、長崎の経験もあるから、高度な技術国ということで、世界にも知れ渡っているわけですが、絶対にあってはならないという中で、こういう大事故が起きてしまったということですね。

それで備えがなかったということですが、色々調べてみますと、あるいは新聞報道にも一部出ておりますけども、対策を取らねばならないという事を主張された人たちがあると。保安院の中にもそういう人がいたと。大学の先生方とかですね。専門家の間にもかつてそういう人がいたということで、結果的にはそういう人達の意見というのは少数意見ということで取らなかったわけですけどもね。

で、そういう人達の名誉のためにもそういう事実はきちっと、指摘しておく必要があるんだろうと思います。保安院の中でもチェルノブイリ事故の後に内部でそういう声を上げて色々提案をしたということが一部の新聞に載っておりますし、世紀を超えて2001年頃には安全委員会の分科会の中にもですね。津波の比重が低すぎるといった指摘も色々なされている。

それから2008年頃には複合災害に備えたマニュアル作成という動きも一部にあったようですが、これも潰れたと。勿論、国会の中でも2004年のインド洋津波の後に、国会、衆議院予算委員会の中でも冷却機能、喪失の危険性について問題定義がされて議論がなされたりとかですね。あった。

それ以外にも勿論、IAEAでの議論ですね。基本安全原則。それから先ほどちょっと触れられましたけども、アメリカの9.11後の核テロ対策を念頭においた安全性、B5b と言われている、そういう色々なところにですね。そういうその、日本の学ぶべき教訓とか、あるいは主張があったんですが、事ごく退けられたわけですけれども。結果的にはですね。

私の質問は、なぜ、そういうふうになったと。そう言う体質、あるいは文化、安全神話という言葉もありますけど、こういった領域についてこの分野で一番大変な時に任に当たられた院長のご認識、受け止め方、といったようなものをお伺いしたい。

特にそれをそういった対策を求める専門家の意見とか、内部の意見があったわけですが、それを押しつぶしたというのは、誰の、何処に大きな責任があるのか。それは電力業界の話なのか、政府の中の話なのか、先ずそういったことも含めて、ちょっと、ご初見をお伺いしたいと思います。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
まあ、あのう、原子力行政、ええ、その、原子力安全行政、これの、長い間の、積み重ねとしての、あの、事故までの、あの、状況、で、あったんだろうと思います。で、それを申し上げますのは、たとえあ安全規制をするにあたっては、

その、規制の基準、あるいは事態の内容、そういったものについて日々の業務を行なっていくわけですけども、今ご指摘のあったような、内外の知見によって更に規制の内容を高める、有り体に言えば規制の強化をするということについて、どういうふうに考えていくのかと、言うことかと思います。

で、そういうなかで、規制を強化することについて、むしろ、日本ではこういうことは起こらないのではないか。それなりにいろいろな検討は進めるにしてもですね。起こらないのではないか。あるいは絶対ではないにしても、非常に小さい確率でしか起こらないのではないかと。

従ってそこについての検討というのを強力に進めていくと。そう言う全体としての行政庁としての、全体としての意識というものが、ああ、強くならないままに、で、実際に事故そのものが、あの、ちょっとした、そういったものはともかくとしまして、ええ、事故は起きていない。そういう事でございます。

JCO事故とかそういったものは、もちろんある訳でございますけども。あの、そういう事の中で、それを、その、安全神話ということであれば、あの、いわば、その安全神話、の一つかと思いますが、そういう事で、ええ、検討というものが十分進んで来なかった、それが大きな歴史かと思います。

それからもうひとつ、そのような中でも2001年に原子力安全・保安院というものを創設して、そこで安全規制を、言わば一元的に、別の部分が勿論ありますけど、一元的にプラントの所を中心にやっていくという体制ができて、今、先生がおっしゃったような、

そう言う方向での考え方で進めようとしたのだと思いますが、一方で、あの、データ改ざん事件、あるいは配管の破断事故、それから度重なる地震、等々、まあ、あの、それ自体、たいへん大きな課題ですけれども、個別の問題、で、それに対して、どのような改善策、規制の内容を充実すると。

より安全を確保するためにはどうするのかと。いうことについてのことに、相当な、あのう、時間、あるいは人員を取られたというのも現実だと思っております。

そういった中で、一昨年の2月になりますけれども、そう言う個別問題だけではなくて、全体的な制度をきちんと見直しをして、規制をどう強化すべきところは強化し、あるいはもう少し合理的に考えられる所は合理的に考えるということで、全体の検討課題が沢山残っているのではないかと言う事を一昨年の2月か3月に整理をしたわけでございます。

それについての検討をすすめる、始まったものもありますし、まだ、あの、十分始まっていないものもあったわけでございますが、3月の事故にあったということでございます。直接の答えになっているかどうかわかりませんが、今、そのような感じを持っております。

# こんな日本語もろくに話せない人間が原子力の安全を取り仕切る長を長年やってきた。コミュニケーション能力のない人間が事故対応にあたってきたのかと思うとゾッとする。事故対応で無能ぶりが露呈し交代。聞きあきた保安院の見直しをしている矢先に事故にあったんだという言い訳。まるで、その見直しが終わってさえいれば、このような重大事故には至らなかったのだと主張したげ。安全委員会といい、保安院といい、今回の国会事故調は言い逃れ会見に。

黒川清委員長 02:54:30 ~
なるべく、時間が来るので、質問をなるべく短くしますが。じゃあ、是非、崎山委員、横山委員、どうぞ。



現在も行われている旧態依然の保安院の大飯原発ストレステスト評価

崎山 比早子 委員(元放射線医学総合研究所主任研究官 )

あの、大飯原発ストレステストですけど、今までの体制を反省したとおっしゃっていましたけれども、ストレステストの審議の進め方ですよね。テレビなんかで見ていると旧態依然として進めていらっしゃると。批判的な意見というのをあまり取り上げないという印象を受けますけど。

現在、もう、リタイヤされていると思うんですが、そういう事に関してはどういうご感想でしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ちょっと、まあ、あの、私自身もまさに、離れておりますその後、ちょっと、あの、直接タッチしておりませんので、あの、運営の仕方、その他についての、あの、申し訳ございませんけど、差し控えさせて頂ければと思います。

# ひどい。リタイヤすれば保安院で何が行われているのか関心すら無いのか。この人は。こんな人間を原子力安全規制庁のトップにおくって、どういう組織なんだよ。


オフサイトセンターの役割、被ばく管理と人命保護について

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)

時間があまりないんですが。委員の横山です。あの、被ばく管理と人命保護についていくつかお伺いしたいのですが、先ず、事実としてオフサイトセンターが機能しませんでしたが、これはなぜだと思われますか?






寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
オフサイトセンターは色んな課題が結果的に出てきたと思っておりますが、まあ、幾つかある課題、備蓄の物が足りないとか、ああ、あるいは水が使えないとか、そういったことがございますけど、今のご質問との関係で申し上げますと、

あの、被曝を防ぐフィルター、そういったものについての備えが十分できていなくて、オフサイトセンターそのものについても、なかなか行動が難しかったということはあると思います。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
基本的に先ほど、田中委員が仰ったとように、In Depth 深層防御、In Depth というのは深層だと思いますが、それも多重と訳されていたりするんですが、実際に多重防御というのは、非常用電源のように多様でないから、多重であっても全部ダメになってしまう。一つ残りましたけど。

そうするとですね。深層というふうに組み立てるのが思想であるとすると、それは原子炉だけであって、その周りのオフサイトセンターというのはですね。多層防御とか、多重という観点から見ても一つしか無いというのは、どんなふうにお考えでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、ええ、まあ、場所といいますか、色んな機能を備えているという点が一つでございますけど、福島第二オフサイトセンターというものを、予定は、元々、予定はされておりました。今回、そこは震災、その他の関係で使えなかったわけでございますが。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
どの辺にございますか?距離的には?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
距離的には10km外。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
10km以上離れているんですね。(寺坂:はい)だから、実際には In depth であれば何箇所かあっておかしくなかった。それから電源が喪失しないように、使えなかったということなんですが、それも何層かあるという事であったんだろうなと。それは計画をされていた?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
そこまで十分な計画にはなっていなかったと思います。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
ああそうですか。後はですね。実際に事が起こった時に、東電から相談されて、100mSv から250mSv に業務従事者の被ばく線量限度を上げたと。その理由はあるんでしょうけど、何かを多く緩めるときには、何かをきつくする形で全体のコントロールをするというふうに常識的には考えますが、その時に保安院としてはですね。どういう判断をされ、どういう助言をされたんでしょうか。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あのう、一方緩めて一方キツくという意味での、一方キツくというのはなかったと思います。作業が、ええ、進められなくなる、ということになってはいけない。ということでございますので、ええ、100を250に上げるということについて、これからの関係省庁等々、ええ、どう考えたらいいかという事で話をして決まったものだと思います。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
そうすると事業者に基準を守り、しかも被曝量を少なくするということは、何を担保するかということは彼らに任されたということですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
その地点ではそういう事でございます。(黒川委員長:ふん)

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
それから、何れにしても事業者の被曝に関しては、かなり管理をされたようなんですが、住民の被ばく管理というのは何か具体的にやられたことはございますか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
住民の被ばく管理という意味におきましては、とにかく避難をして頂くという事が先ず、第一でございまして。で、避難の仕方、そういったことについて、先程来のお話があるわけでございますけれども、今度は、避難した先、で、どういうふうに見ていくのか。

その、急な避難をする、しない、という、その、短時日の間の話しと、それから、これから、ええ、この様子でいくと避難そのものが長くなるかもしれない。なりそうだと。そういう中で、どのように住人の方がにできるだけ被曝が小さくなるようにという事で検討を行なっていたものでございます。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
検討結果は何処に流されていたわけですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
検討結果は、そういう、あの、ものに始まる直接のきっかけは、確か15日か16日に、いわゆる、その、ええ、あの、逆算方式と申しましょうか、そういったことでどのくらいの蓄積になっていくのかということが、ある程度出来るのではないかと。

で、その前にモニタリングのデータの問題というのが特定の地域において高くなってきていると。そういうものがあったわけでございますので、そういう中での検討が開始されたものでございます。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
それは保安院から、保安院で検討されたんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
保安院と言うよりも、これは、原子力安全委員会と、それから、文部科学省さんのところが中心だと思います。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
保安院は その時には何かの役割をされたんですか?(黒川委員長:うん)

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
保安院は、やはり、あの、積極的、そういう、あの、情報を おお、確認した上で、ええ、のもの、で、情報が、流すとか、そういったことは勿論ありますけども、作業そのものに積極的何かがあったとは記憶しておりません。(黒川委員長:うん、はいはい。)

# 最初からしていませんでいいだろ。何言ってるのこの人。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
それから、先程の大島委員のご質問に絡むんですが、いろんな意見があり、いろんな提案をされたけども、そういう事は日本では起こらないだろうという気持ちがあったと仰ったんですが、とはいえ、40年間、技術は変わっていったはずであって、その辺の情報収集とかですね。

最終的には使わなないと言う判断をされたとしても、情報収集とか、ある程度の研究とか、そういう体制というのは存在したんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
情報集めて、例えば、基準とか、そういった技術的なもの、あるいはトラブル情報、そういう事については主として JNES 原子力安全基盤機構のところも、データベースとして作っておりまして、それなりに運用はされていたと思いますけども、それがどういうふうに役に立っていたか、あるいはどのように使われていたかということについては、必ずしも十分ではない点があったかもしれません。

横山禎徳 委員(社会システム・デザイナー)
その場合に、被曝とかですね。あの、住民の被曝とか従事者の被曝であるとか、そう言う側面でも情報は集まっているもんなんですか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、プラント情報が中心、と思います。(黒川委員長:そうですね。うん。はい。)


経産省保安院の専門性の欠落

黒川清委員長 03:04:15 ~
ちょっと最後になりますけど、短くね。短く。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
すみません。もう一度だけお伺いしたいんですけど。先程、寺坂元委員長は、保安院の組織は先も生が乏しいというふうにご発言されたわけなんですけども、大変残念なのは院長自身が文化系なので、その一番大事な時に官邸に居れなかったという事も今日ご発言されているわけですね。

そういう意味では専門性が乏しかったのは院長ご自身ではないのかと、今、私どもはみんな感じているわけです。で、しかしそう言っても一定の役割を果たしたとおっしゃるんだとすればですね。官邸からお戻りになられて、そこで官邸との間ではしっかりとした連携をとって頂いたものと信じたい訳なんですが、

先ほどの桜委員のご質問の中では、必ずしも出した情報がどこにまで伝わったのか確認しなかったという、そう言うご発言もあるわけですね。そこで1点だけお伺いしたいんですけども、官邸との間ではどうやって連絡をとっておられたんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
あの、それぞれのレベルがございます。私自身は主として電話における連絡。から、後は、担当から入る情報、そういう事でございます。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
わかりました。電話なんですけど、電話の記録は私どもは後で拝見させて頂こうと思うんですが、実際、官邸との間では何度ぐらいの連絡があって、そしてどいう指示を出されておられたんでしょうか?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
ええっと、まあ、ちょっと、あの、回数として、ええ、あまり、あの、明確に出てまいりませんが、私自身が直接支持しているものは、そんなに多くないと思います。

# 崎山委員の声?音声が13回という小さな声を拾ってる

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
大体の数で結構なんですが。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
う~ん、数回程度かと思います。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
10回に満たないということで宜しいですね?

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
なってないと思います。

野村修也 委員(中央大学法科大学院教授)
わかりました。

黒川清委員長 03:06:30 ~
残念ながら時間もきたんですが、いくつかみなさん言っているのは、やっぱり院長もご苦労なことだったと思いますが、やっぱし、この事故の時に専門性の問題というのはありますし、その時のいろいろな状況はあったかもしれないけども、みんなが聞きたいのは、例えばプレスの方もですね。あっという間に中村さん以下、西山さんになるまで4人ですかね。

ぱっぱっと変わったのは勿論院長も認識されておられるわけだし、それからIAEAの反応に対しての、今度新しいガイドラインの作り方にも幾つものコメントが出てきていますが、それが反映されていると思えないところもいくつかありますし、

まあ、そんな事で今日のお話を伺っているとですね。今の国会で審議されていることも、結局は人の問題だと。組織の問題だと。組織の問題だと。適材適所だということを本当に責任をもってやれるかどうかと言うとを皆心配しているんじゃないか。

組織を移しただけでは変わるわけではないので、そこの所を2回、次長と院長をやられたわけですので、一言で言えば、そういう事の責任はあるわけですし、議事録の話も、是非、また後で伺いたいと思いますが、是非それについても、今、纏めておられますとおっしゃっているので、

それについて専門性の問題、そして長としての責任の問題それまでの間での不作為の問題、いろんな話が出ましたけど、是非ですね。あの、そう言う後輩に向かってですね。今度の今の国会の議論を踏まえて、どう、一言、是非言ってほしいことは、どんなにしたら信用がされるようになるのか。

# もう、ボロクソ。NHKニュースウォッチ9は班目委員長謝罪しましたと数秒で終わり。保安院には一切触れず、数日後、細野大臣は焦ったのか、新寄生庁立ち上げに関してと称して黒川委員長に摂食。あれだけ会見で政府事故調に影響与える発言はできないんだと、質問の回答を拒否してた本人が。のし上がってやろうと野心があったことを暴露するし、私の中で細野豪志が最も危険人物。

それは日本だけじゃないんですよ。これだけの先進国で技術立国なんて言ったのは、こんな体たらくかね、と思われているわけなので、是非、寺坂前院長の熱い思いをですね。後輩に言って頂きたいと思いますが、どうでしょうか。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
まあ、あの、本日もいろいろなご指摘、ご批判を頂いたわけでございますので、まあ、そういう、立場、が、なにか申し上げるということは、あまり、適してないのかもわかりません。わかりませんけれども、おお、言わば、緊急時の対応というものをどういう体制で、

どういうふうに持っていくのか。ああ、これは備え不足ということで申し上げた話でありますけども、そういう事。それから、やはり、あの、安全基準、あの、行政庁、基準に従って、やる。それをこうやるということについては、なんらのことがないと、

なかなか難しくなるというのもまた現実でございますので、そう言う基準作りというものをこの機会に改めてしっかりやり、日々、安全を第一として、進んでいく、あの、そういう事が、最も重要なものだと、いうふうに考えてございます。

黒川清委員長 
ありがとうございます。IAEAの方もですね。日本の基準作りが非常にその、責任逃れ的な記述になっている。(と指摘している)何をするべしとか、そういう話でね。ディティールはきちっとやってないなぁというのは、まあ、各国ぜひ比べて頂けると思いますが、どうやって規制庁がやっているのか、という話をきっちりと、ある程度世界でも見れるように。

みんな見てますから。またこんなことやってるのかと言われても困るので、是非その辺をしっかりやってもらいたいとこちらの委員会では思っておりますし、是非、その、前院長としてもですね。そういう事を是非伝えてもらいたいと思っております。

そいうことで本当に今日はお時間いただきましてありがとうございました。そういう事で今日の委員会はこれで終了させて頂きたいと思います。宜しいでしょうか。何かありますか?そうですか。ではこれで散会と致します。

寺坂 信昭(前 原子力安全・保安院長)
どうもありがとうございました。

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